■■彼の将来の夢は、実業家になること。そしていつかナスダックに上場して、リッチマンになることだそうです。

 レストランのチェーン店を展開したい、と言っていました。回転寿司や希実の友人の実家のレストランへ行った時には、「このやり方は面白い。将来役に立ちそうだ」なんて将来の夢を語っていました。

 日本の子ども達と違うのは、やはり実業家になる、なんて夢を持つあたりでしょうか?

 先日ある代議士の方とお話をした際に、こんな話を聞かせてくれました。日本では青年たちの将来の夢を尋ねると、一番多いのは「公務員になること」だそうです。もちろんこの不景気。親達の苦労を間近に見ていると、こうしたことになるのでしょう。

 その代議士さんに言わせると、「こんな状態を何とかしないといけない。日本の未来のために」となります。しかし、これはちょっとおかしな話です。日本人をこんなに想像力の乏しい、依存性の高い人々にしてしまったのは、公共事業という飴玉で、自分の将来を見つめることなしに時を過ごしてしまうように仕向けた政府与党、まさに政治の責任なのです。それをいまさら公務員になるという国民のささやかな夢を否定するなど、ちゃんちゃらおかしいな話です。

 それでもやはり、この話を聞いて日本の未来は暗い、と思わざるを得ませんでした。公務員が悪いのではもちろん無くて、要するに子ども達に、夢が無い、危険を犯したくない、いろいろ考えるのは面倒だ、というのが見え見えだからです。潰れない、厳しく査定されない、結局責任を取らされる事はない。日債銀の問題など、大蔵省、厚生省、建設省、どこも同じです。責任を取る必要が無いのに、権限だけ強大になっていることの恐ろしい例には、枚挙にいとまがありません。こんな気楽な商売は他に今時ありません。

 子ども達は権利ばかり主張して義務を果たさない、と大人は非難しますが、新聞を見ていれば、そんな言葉が実に空ぞらしく聞こえてくるのです。何も私は子ども達だけを弁護するわけではありませんが、社会を一番敏感に反映しているのは、やはり子ども達ではないか?、と日々思うのです。そして親としての自分の責任の重大さに慄然とするのです。

■■今回のホストファミリーの割り当てにしてもそうでした。最初の方が辞退したので、後から電話をいただき何とか引き受けてくれないか、とのこと。自分でお役に立てるなら、と引き受けたのですが、説明したいから市役所まできてほしいとの事。往診の後、何とか時間を作って出かけてみると、担当責任者がいないので、と代理の方から説明を受けました。内容は日程の説明でした。ところが、日程が最初の時点から変更になっていたのです。連絡がうまく取れていないようで、その時点で、こちらは変更の説明を受けることもできませんでした。家内が予定表どおりに市役所前でいくら待っていても、誰も現れません。これはおかしいと思ったところへちょうど、知り合いの職員の方がわざわざ調べてくれました。

 こうして、ようやく変更になっていたことを知ったのです。わざわざ市役所まで呼び出しておいて、何を説明してくれたのか、しかもその後、何の連絡も無いのです。民間企業なら責任問題でしょう。どこでも同じです。しかし市役所ですと、責任を問われることはありません。多分何回でも同じようなことを繰り返すのでしょう。それが人間というものです。人が悪いのではありません。システムが悪いのです。国家が運営して唯一うまく行くのは軍隊だけだ、というアメリカのある財界人の言は、かなり割り引かなければならないとしても、真理をついている、とこうした経験をする度に思います。

■■別に大金持ちになろうという彼の夢が素晴らしくて、公務員を目指すのが退屈だ、というのでももちろんありません。しかし、将来何をしようかと夢を描く時期に、子ども達が安全第一、考えるのが面倒臭いでは、本当に日本の将来は暗澹たるものになります。

 ただ、子ども達だけを責めるのは、もちろん間違いです。子ども達に夢が無いのは、親たちに夢が無いことの証明のようなものです。大人が夢を失っている現状、夢を持てない現状を痛感する話です。



登呂遺跡の前で。
Jahdal君と拓磨。
我が家の前で、親友の桜井隆志さん(中央)と並んで。



Jahdal君の日本での滞在が、楽しいものであったことを祈っています!