■■ 2001年3月7日 ■■

 拓磨の16歳の誕生日を家族で祝いました。

 1985年3月7日。ちょうど富山医科薬価大学の大学院に在籍していて、私自身は病院には駆けつけられませんでした。希実も彩香の時も、父親になる感激を味わいましたが、拓磨だけはそれができませんでした。

 血液型の不適合から黄疸がひどく、ビリルビン値が上昇、下手をすると交換輸血が必要になるのではないか、ということで、雪の中をバイト先の病院へ通いながらも電話で病状を確認、一喜一憂していたのが、うち昨日のように思い出されます。

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 とにかく型破りの子どもでした。天真爛漫というか、子どもらしいといえば子どもらしいのですが、とにかくあっと驚くようなことをさらりとやってのける子でした。

 澄代は大変な思いをしたようです。私も家族で富山に住むようになってみて、初めてその型破りぶりを知ることになりました。

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 ある日、大学で医局会に出席していると家から電話が入り、家族で買い物に出かけている間に拓磨が中から鍵をかけてしまい、家の中に入れないから急いで帰って欲しいとのこと。

 すっとんで帰り、玄関のドアの郵便受けから中を覗くと、一人でおもちゃをいじりながら説得にも応じること無く、悠然とたたずむ拓磨がいました。

 万事がこの調子。といって、人を困らせてやろう、とかそうした気持ちがあるわけではないのです。

 ただ、自分がしたいように、ひょうひょうとして飽くことなく進むのが彼の流儀。

 未だにメイルのやり取りが続いているのは、彼とだけ。女性軍は離脱しました。

 大器晩成、であるといいのですが。

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バースデイ・ケーキを前に ロウソクを吹き消して


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