■■ その四 ■■

大覚寺にて


 嵯峨天皇の離宮を寺とした後、鎌倉時代には亀山天皇や後宇多天皇がここで院政を行い嵯峨御所と呼ばれました。

 南北朝時代の大覚寺統/南朝として知られる格式高い門跡寺院、隣接する大沢池は平安貴族の舟遊び/月見の場所として有名です。



大覚寺にて 大覚寺にて
二人で並んで 大覚寺にて



■■ かつては平安貴族が舟遊びをしたという大沢の池のほとりのゆるやかな曲線を描く、箱庭のような山を背に大覚寺は建っています。もともと嵯峨天皇の離宮として建てられただけに寝殿造りそのままの建造物には随所にその豪華さがしのばれます。


 「正寝殿」は桃山時代のもので、内部には嵯峨蒔絵と呼ばれる 典雅な桃山式の 蒔絵がほどこされています。

 正寝殿と渡り廊下で結ばれている「宸殿」には狩野山楽の筆になる豪華な襖絵、紅梅・牡丹の図があります。また御影堂の裏手には「収蔵庫」があり、ここには大覚寺所蔵の宝物がおさめられています。



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