2009年6月27日-28日


乾杯!!

 常宿の前の居酒屋でさっそく乾杯。土曜日とはいえ、仕事が終わって待ち合わせしたのは20時15分。ご苦労さま、拓。それから二人でお互いのこれまでの様子を話しました。仕事をしながら勉強を続けるのは、本当に大変。でも夢を叶えるためなら、人間って頑張れるんだね。
 あっという間にホテルの門限0時30分が来てしまい、拓が慌てて電話をしてくれたおかげで、何とか玄関を閉められる寸前に滑り込むことができました。楽しかったね。


「あゝ上野駅」の記念碑の前で

Wikipediaによれば、--- 東北地方からの集団就職者の愛唱歌としても知られるこの「あゝ上野駅」は1964年にリリースされ、爆発的なヒットとなった。戦後日本の歴史に残る名曲として位置付けられており、2003年には上野駅の駅前に「ああ上野駅」の歌碑が完成。 ---- とあります。井沢八郎さん自身、弘前のひとかどの名士宅に出生し、中学卒業後に上京、歌手を目指しました。上野駅が一番輝いていた時代でしょうか? 拓も一緒に撮ろうよ、と言ったら、そんなことは田舎者のすることだよ、と言われてギャフン。確かにそうかもね。でも、父の年代には懐かしい歌なんだ。


科学博物館前にて

 午前中は上野公園内の国立科学博物館と国立西洋美術館を見学しました。
 国立科学博物館では、ガリレオが望遠鏡で天体観測を始めて今年で400年に当たるとして、「宇宙の謎を解き明かす」というタイトルの展覧会を開いていました。


国立西洋美術館前にて

国立西洋美術館常設の松方コレクションを見にいきました。解説によると、---- 株式会社川崎造船所社長であった故松方幸次郎氏(1865−1950)は、1916年から1923年にかけて、私財を投じてパリを中心にヨーロッパ各地で数千点におよぶ西洋の絵画、彫刻、工芸品を収集しました。また、西洋の美術作品だけではなく、当時外国に散逸した日本の浮世絵を収集したことも有名です。これら約8000点の浮世絵は現在、上野の東京国立博物館に所蔵されています。

松方氏はこれらのコレクションをもとにして、東京に共楽美術館を設立し、日本で西洋の美術作品を見る機会を提供しようと考えていましたが、1927 年の経済恐慌によってこの計画は陽の目をみることはありませんでした。経済状況の悪化によるコレクションの散逸、イギリスでの倉庫火災によるコレクションの消失などによって、現在では当時の膨大なコレクションの全貌を知ることは不可能となっています。

その中にあって、当館の松方コレクションとは、第二次世界大戦当時フランスに残され、サンフランシスコ講和条約によって一旦フランスの国有財産となった後、日本に寄贈返還された絵画196点、素描80点、版画26点、彫刻63点、合計370点の作品からなるコレクションのことをさしています。--- とあります。拓はすっかり美術ファンになりました。


ロッテ・マリンスタジアムにて

拓が切符を取ってくれた一塁側ネット裏の席に陣取りました。ただし、雨のため引越しを余儀なくされました。拓が2人分のレインコートを持ってきてくれたので助かりました。しばらくは雨の中観戦していたのですが、拓の勧めに従って観覧席上段、屋根の付いた席に移動しました。おかげで濡れること無くじっくり観戦出来ました。
 一塁側、そして三塁側と移動しました。違った角度から見ると、同じ球場が違って見えるから不思議です。拓のおかげで貴重な体験ができました。


ファンサービス中のバレンタイン監督

 バレンタイン監督は試合前にファンサービスに努めていました。こうした地道な活動が大切なのでしょう。こうしたことは、他の監督にもぜひ真似してもらいたいものです。


一塁側から見たグランド

 一塁側ロッテ側から見たグランド。けっこう雨が降りました。


三塁側からの様子

 三塁側からのグランド。雨のためシートを敷いて雨の上がるのを待ちました。しかし、残念ながら7回コールドでロッテの勝ち。スクイズによる一点が勝敗を分けました。



 本当に楽しい週末でした。拓のおかげで盛りだくさんの内容でした。科学あり美術ありスポーツありとてんこ盛りでした。親子でこうした時間を持てることを本当に感謝しています。
 社会人になったということが、お互いをより近い存在にしたのでしょうか。何はともあれ、こんな素晴らしい息子を持てたことを感謝せずにはおられません。お母さんにも感謝しなくちゃね。

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