2010年10月9日(土曜日:曇り)


■さてさて、ショーロンポーで腹ごしらえをして上海の街散策も後半戦です。まずは、「上海城市規格展示館」に行きました。


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 玄関を入ると、さっそく模型がお出迎え。これだけ、と思ってはいけません。二階には、巨大な都市モデルがあります。


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左端に見えるのが上海体育場でしょうか?


 ネットによれば、

 上海都市計画模型(Shanghai Urban Planning Model)

 上海城市規格展示館の上階へ上がるとこのような上海市内を表した都市計画モデルがあり、上海を代表する東方明珠電視塔や金茂大廈、上海環球金融中心などが模型で表現されています。また現在はまだ実際に姿がありませんが、上海環球金融中心をも上回る超超高層ビルとして計画されている上海中心(上海センター)と思われる模型あり、全体としてはかなりスケールの大きなものになっています。




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万博会場から見た市内の模型。ホテルは、はるか彼方です。


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 顧蘭英さんの案内で万博会場近くのお土産やさんへ。日本の100円ショップを見習って、「100元ショップ」と命名していました。ということは、全て商品が日本の100円ショップの約14倍ということです。でも、なぜか安そうに思えるから不思議です。

 私が愛用していたサングラスを店の皆さんがなぜか気に入ってくれました。記念写真を希望されました。


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こちらは、田子坊と言われるスポット。




 ネットによれば、

 泰康路の田子坊は上海の通りの中で一番面白いと言う外国人が多い。

 長さ420メートルほどの泰康路の両側には、中国風や欧米風の建物がひしめきあっていて、清の時代に庶民が暮らしていた伝統的な石庫門(シークーメン=中国の集合住宅建築様式の一つ、以下「石庫門」)や新しいタイプの里弄(リーロン=路地、以下「里弄」と表記)、石庫門と工場が併設されている建物など、上海が小さな漁村から現在の混沌とした東西融合都市へと変貌し、その中で町の小さな加工工場から中国の今を支える小型加工企業が起こった歴史が刻まれている。

 現在田子坊で働くクリエイターの出身地は26の国と地域に及び、就業人口は800人余り、彼らもまた、今なお健在な「上海の弄堂物語」の主役なのだ。

 田子坊の面積は7万平方メートルあまり、上海に50以上ある創意園区(アーティストたちの工房があつまる地区)でもその存在は特異なものだ。ほかの創意園区はそれぞれ独立した古い建物や倉庫を改造したもので(例:上海新天地、M55)、住民とは特に交流をもっていない。ここ田子坊だけが、旧式の里弄を改造してできたもので、民家もあり工房もありで、商店と住民が軒を並べている。

 田子坊には文化、商業、観光、生活が融合した不思議な光景が見られる。これも魅力の一つだ。

 たとえば田子坊には毎日約5〜6000人が訪れ、外国人も多いが中国人も多い。おしゃれでのんびりできる場所として内外に知られているのだ。


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その田子坊の中を散策する拓。


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 さて、ようやく上海雑技団の劇場に到着しました。もう少し早く着く予定だったのですが、中国銀行に寄っていて遅くなりました。

 28年前、新婚旅行の時に作ったトラベラーズチェックを現金化したのです。どういうわけか、未だに現金化されずに残った TC がありました。たいした金額でもないのですが、それでもドルに替えると 当時の 1/3 にしかなりませんので、それではシャクなので元に替えてやろうと思い立ったのです。

 通訳の顧蘭英さんにお願いして、途中で Bank of China に寄ってもらったのですが、最初の支店では取り扱えない、と断られました。しかし、田子坊へ行く途中で立ち寄った支店では、OK ですよ、と承諾してもらえました。ただし、チェックは厳重でした。パスポートは当然。さらに、TCに記載された日本の銀行?にも電話して、偽物でないことを確認。結局30分以上かかりました。

 ただし何よりも驚いたのは手数料の安さ。500円ほどでした。額の違いを差し引いても、出発前に日本の銀行で確認した手数料の、ざっと 1/20 程度。やはりチャイナ・プライスでしょうか。何だか、とても得した気分でした。

 ドルは崩壊過程に入っている、という指摘があります。当局が税金を何兆円も投入して為替相場を操作しても、結局積み上がったドルは紙屑同然になりはしないか。賢い国々はドルを手放すことはあっても、税金を使って溜め込むなんてことは、とうの昔に止めているのではないでしょうか。


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 上海雑技団の公演が終わって。素晴らしいショーでした。次から次へと繰り出される見事な曲芸には、見とれるばかり。28年前に新婚旅行で見たフランス リドでのショーにも決して引けを取りません。

 外国人の客が多いのにも驚きました。幕が引かれ玄関を出ると、観光バスが数珠繋ぎになっていて、次々と乗り込む白人観光客の多さにビックリしました。


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さて上海での最後の夕食です。お店は、「丁香花園 申粤軒」。




 ネットによれば、

 丁香花園「申粤軒」は、上海の西、華山路と武康路の丁香花園の2号楼にあります。ガーデンの面積は36ヘクタールあり清朝末期に当時、洋務大臣を務めていた李鴻章の家族の住居として“丁香”と呼ばれていました。ガーデン内の静かで、落ち着いた風景は、訪れる人を癒してくれます。

 丁香花園「申粤軒」のシェフは、上海料理、広東料理をはじめ、焼物、海鮮などを得意としております。店内総面積は2000平米以上にもなり、3卓個室(10人/毎卓)3室、1卓個室12室、豪華な2階建てフロアーなど、400人以上の集客設備を備えております。そして優雅な環境と素晴らしい音楽のもと、最高のお食事をしていただきます。 皆様のご来店を心よりお持ちしております。


 また、こんな記載もありました。

 その李鴻章が愛人の丁香のために購入した邸宅が丁香花園です。丁香は李鴻章晩年の愛人で、七番目の愛人です。まだ年若い丁香が正妻やその他の愛人などと不和だったため、李鴻章は上海に丁香のための別荘を建てたとのことです。丁香とはライラックを意味します。



 中国の政治家は、さすがに豪快です。

 この夜は広東料理。食べきれないほどの量でした。拓と二人で舌鼓を打ちましたが、最後のチャーハンは、申し訳なかったのですが、ほとんど残してしまいました。

 糖尿病にならないためです。

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