20091001(木曜日:晴れ)

 久しぶりの晴天。朝のウォーキングも、ずいぶんご無沙汰のような気がしました。帰り道、でんでん虫を危うく踏み潰しそうになりました。1センチほどの小さな小さなでんでん虫。さっそく携帯の拡大写真で撮りました。清少納言の言う、「何も何も、ちいさきものはいと美し」という感覚は永遠に不滅ですね。

画像の説明

可愛い可愛いでんでん虫です。無事に目的地に辿り着けたでしょうか?


20091003(土曜日:曇り)

 澄代と二人で明日観劇をするために東京に出かけました。夜は拓と一杯、ご苦労さん会でした。これからもまだまだ先は長いけど、少しずつ前進して頂上を目指してね。

乾杯!

まずは乾杯。澄代は講習会疲れのために早退。拓と二人で楽しくやりました。


20091004(日曜日:晴れ)

 今日は午前中、三人で国立西洋美術館でのローマ帝国展を見学。午後からは、天王洲 銀河劇場でのこまつ座公演「組曲 虐殺」を観劇しました。

国立西洋美術館

国立西洋美術館前にて。拓はすっかり考古学ファンになりました。


カレーの市民

ロダンのカレーの市民を背景に


二人並んで

二人でこうして出かけることが多くなりました。


コーヒーを

最後に三人でコーヒーを飲みながら歓談。



 浜松町からモノレールで一駅。こまつ座の舞台は二人のお気に入り。テレビでお馴染みの高畑淳子さんなど6名の芸達者が顔を揃えました。正直前半はいささか退屈ぎみでした。あの時代の貧しさをどれほど巧みに言葉に置き換えても、たぶん現代の我々の心には届かないと思うのです。派遣切りから小林多喜二が見直されていますが、その派遣切りにあっている当事者ですら蟹工船の時代は想像できないはずです。

 誤解を承知で言えば、蟹工船と我々の距離は古代ローマ帝国と平成の距離と、そう変わらないとすら思えます。よほどの想像力を持った人でないと心から共感するのは難しいと私には思えました。

 問題点は二つ。貧しさと政治的自由。当時の為政者達を擁護するつもりはありませんが、しかし冷静に考えてみれば、容易な時代ではなかったことは確かです。私達はどうしても現代の状況から当時を断罪しがちです。例えば、なぜ貧しい人々に生活保護の手を差し伸べなかったんだ、などなど。

 しかし、当時の日本の経済状況で、そんなことが可能でなかったことは少し考えれば容易に察しがつきます。日本が豊かになったのは、ほんのここ数十年のことなのです。

 「赤」の脅威が舞台の背景に流れていますが、冷戦が終結、ソ連が崩壊し共産主義が、文字通り亡霊になってしまった今では、その恐ろしさを理解するのは当時と異なり容易なことではありません。当時の為政者は、多分本当に恐れていたんだと思うのです。共産主義革命が起こり天皇制が破壊され日本が日本でなくなってしまうことを。

 なぜあれほど赤を恐れ弾圧したのか、今では不思議に思うのが素朴で常識的な疑問でしょう。そのあたりが少し私には、違和感があったのも事実です。つまり当時の為政者たちが愚かで残虐で、どうしようもない連中だった、という描き方だけでは、当時の日本人の苦悩というものが我々には実感できないのです。時代的背景を、もう少し詳しく丁寧に描いていかないと、とても一面的な見方に傾いてしまいます。もちろん井上ひさしさんと言えども、上演時間という制約の中では難しかったのかもしれませんが。

 ただ後半部分はさすがに井上ひさしさんの戯曲です。登場人物一人一人がそれぞれの人間性を鮮やかに描出され、それぞれの人生が私にも身近に感じられました。登場する二人の特高警察官も、たんなる権力の犬的な存在でなく、心に錘を抱えて任務を遂行している、その葛藤が描かれていて、とても実在感がありました。

 つまり、どの登場人物も陰影が鮮明であり、我々から遠く離れたステレオ・タイプの存在では決してなく、すぐ隣に生活しているような錯覚に陥るところが筆の鮮やかさ、というものなのでしょう。

 みんなそれぞれが忘れることのできない一場面を心の中に抱えて生きている、という趣旨の台詞は身につまされました。

お祝いの花束の前で

お祝いの花束の前で。


観劇の前に

観劇の前に。通路は観客でごった返していました。


通路の様子

開幕5分前には溢れんばかりの観客でした。



 楽しい週末でした。銀河劇場は初めてでした。次回は紀の国屋ホールで観劇しようと計画中です。次回は拓も来られるかな?

20091005(月曜日:雨)

 秋雨前線と台風の影響で雨の一日。今週はどうやら雨模様。昨夜は中秋の名月。東京で美しい月を眺めることができました。

 今朝ウォーキングをしていて、蜘蛛の巣にコガネムシでしょうか、搦め捕られているのを見つけました。そして思い出したのがイソップ童話。蚊とライオンのお話。

蜘蛛の巣

■■

 蚊がライオンにこう言いました。

「君なんかより、ぼくの方がずっと強いんだぜ。きみの歯や爪なんぞ、ぼくには何の武器にもなりはしないさ。ウソだと思ったら、ひとつ戦ってみようじゃないか」

 そして蚊はライオンの鼻を攻撃し始めました。ライオンは夢中で自分の鼻をかきむしり、とうとう「やめてくれ」と降参しました。そこで蚊は意気揚々と飛んでいきましたが、たちまち蜘蛛の巣にひっかかり、蜘蛛に食べられながら、こう言って嘆きました。

「百獣の王を打ち負かすオレさまが、何だってこんなケチな蜘蛛なんぞにくわれなきゃならないんだ!」

■■

 森本哲郎さんは著書の中で、

「イソップが教えているのは、見当違いの大志は身を滅ぼす、ということなのです。見当違いとは、『身のほど』、すなわち自分の個性を知ろうとしないところから生まれる、ということなのです。志というものは、あくまで自分に密着していなければなりません。」

 と書かれています。身につまされます。一番よく分かっているつもりの自分のことが、実は一番分かっていないのでしょう。人間の一生とは自分への旅だ、という名言は間違いありません。

20091008(木曜日:雨)台風18号通過

 今朝未明10月としては最大規模の台風18号が愛知県に上陸しました。昨夜からテレビのニュースは台風一色。ある意味では日本は、それだけ平和で幸せな国だ、とも言えそうです。地震や台風にさえ気を付ければ、何とか暮らしていける国って、世界にはそう多くないと思うのは私だけでしょうか。

 ところで、先日ネットで以下の記事を見ました。

 「出版界の破壊神か創造主か?グーグルが目をつけたオンデマンド製本の正体」

 という内容です。その書き出しが、また衝撃的です。

 「銀行のATM機で必要なお金を引き出せるように、自分が欲しい本をその場で印刷してもらう。信じがたい話だが、そんなことがすでに可能になっている。ニューヨークに本社を構えるオンデマンド・ブックス社の印刷・製本機械“エスプレッソ”によって、だ。」

印刷機

 米オンデマンド・ブックス社が開発した“インスタント製本機”エスプレッソは実はすでにハーバード大学や世界銀行等で利用されている。



 グーグルが世界中の書籍をデジタル化しようとしているのは周知の通り。版権が切れたもの、あるいは絶版している書籍を網羅的にデジタル化しています。版権の問題で訴訟にもなっていますが、私はこうした動きに好意的です。

 皆さんもご経験があると思いますが、本当に欲しい本が絶版により手に入らないことは珍しいことではありません。出版社は山のような新書を発行する一方で、ほとんどはそのまま返品、古紙回収に回されています。「地中海のほとり」という一番の愛読書がすでに絶版となり、ネットの古書広場で何度か手に入れた経験が私自身にもあります。いまの書籍流通制度が、うまく機能しているようには正直私には決して思えません。

 それでは本屋さんはどうなってしまうのだ、という疑問が湧きます。確かに大きな問題です。ネット書店、例えばアマゾン・ドット・コムの送料無料などの営業攻勢により、現実的に街の書店の存在は風前の灯です。私自身も本屋さんで書籍を購入することはめっきり減りました。

 印刷物としての本そのものが無くなることは決してない、と私は思います。しかし今までのような形態は、遅かれ早かれ消失していくと考えています。アメリカのアマゾンが電子ブックリーダー「Kindle」を日本向けにも販売、という報道がなされています。今までこうした試み、つまり紙に印刷されたものを読むのでなく、電子的な媒体で文章を読む、という試みは何度か実験されましたが、決して成功したとはいえません。やはり紙に印刷された本は、読みやすいのです。

 しかし、電子媒体の進歩により、その視認性も飛躍的に向上しました。読みにくさが改善されれば、何千冊というデーターを持ち歩きながら、どこでも手軽に本が読める魅力は想像以上です。まだまだ発展途上とは言うものの、明らかに流れはそちらに向かっています。

 ブックリーダーで読んでみて本当に気に入ったら、そして生涯に渡って何度もその本を繰り返し読み返したいと思ったら、その本をオンデマンド製本で購入するというのが、将来の姿になりそうな気がします。

 街の本屋さんが、そうした流れのどこにどのように関わっていくのか。真剣に考えていく必要があります。街の本屋さんが無くなって良いとは私は決して思わないのです。しかし時代の流れに抗うことはできません。技術の進歩に背を向けては存在し続けることはできません。

 ダーウィンは、こう言っています。

 「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」

 誰にも、そしてどんな組織にも当てはまる真実なのです。

20091009(金曜日:快晴)台風一過


朝焼け

10月の美しい朝焼け


 台風一過。昨日の嵐が嘘のような爽やかな秋晴れの一日。と言っても、一日仕事で籠の鳥でしたが。

 さて、廉価DVDの販売差止訴訟の判決がありチャップリン、並びに黒澤明監督作品の廉価版DVDの販売が認められなくなりました。以下はニュースの抜粋ですが、私はどうも釈然としません。

 黒沢明監督(1998年死去)の12作品の著作権が消滅しているかが争われた3件の訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(宮川光治裁判長)は8日、格安DVD販売会社側の上告を棄却する決定をした。DVDの販売差し止めが確定した。

 12作品は43-62年に公開された「生きる」「羅生門」「姿三四郎」など。
いずれの訴訟の一、二審も黒沢監督を著作者の一人と認定した上で、著作権の保護期間について、「公開後70年間」とする現行著作権法と「死後38年間」とする旧著作権法とを比較し、保護期間が長くなる旧法の規定を適用。少なくとも2036年まで継続するとした。(2009/10/08-17:29)

■■

 現行の著作権法においては、映画著作物の保護期間が「公表後70年」までとなっております。また、1953年以前に公表されたものについては「公表後50年」までとされています (1953年作品の扱いについてはまだ係争中ですが、まぁ確定間近と考えて差し支えないでしょう)。ところが「公表後50年」までと定める前の旧著作権法の規定によって例外的に保護期限が決まる場合もあります。

 それが、個人名義で発表した映画著作物です。これは(数々の延長措置を経て)最終的に、著作者の「死後38年」までとされていました。ところが現行著作権法では公表後起算ですから、旧法で定められた死後起算の期限の方が後になることも多く考えられます。そこで旧法から現行法への経過措置として、旧法での保護期間の方が長い場合にはそちらを採用するとされたのでした。

 公開後50年で誰もが自由に利用できるのが芸術作品の役割ではないか、と私は思うのです。著作権の保護はもちろん大切です。しかし、どんな偉大な芸術家であっても、その出発点は模倣から始まっているのは明かです。偉大な画家も模写から始めるように。

 芸術作品はある一定の期間が過ぎれば、それを市民に公開し自由に使用できることで若い芸術家の肥やしになるべきです。著作権、著作権と騒いでいるのは芸術家本人より、むしろその取り巻きで利益を得ている人々ではないのでしょうか。偉大な芸術家であればあるほど、いかに自分が偉大な芸術家の影響、恩恵を受けたかを痛感しているはずです。

 手塚治さんの息子さんが、父の作品「ジャングル大帝」を模倣してハリウッドが「ライオン・キング」を作成した時、父は模倣された事を喜んでいるのではないか、といった趣旨の発言をされていたと記憶しています。さすがヴィジュアリスト・手塚 眞さんは並のドラ息子とは違う、と感心したものです。裁判に訴えて損害賠償を請求する、という手段もあったと思いますが、彼はそうはしませんでした。自分自身、芸術家である息子 手塚 眞さんは、芸術とは模倣から生まれ偉大な芸術ほど模倣の対象になるのだ、ということを理解しているに違いありません。

 公開後50年で十分ではありませんか。

20091010(土曜日:快晴) 

 今日は仕事を終えて、一息入れてから原駅へと向かいました。京都へ行くためです。拓と待ち合わせて明日からの京都・大阪の旅が始まります。

 14時02分原駅で東海道線に乗り静岡駅でひかりに乗り換え京都駅に到着しました。拓も10分ほど遅れて東京からのぞみで京都駅に到着。フォームで待ち合わせる事ができました。みんな拓が調べておいてくれました。

 さっそく駅からぶらぶらと散歩方々宿に向かいました。東本願寺から四条河原通りまで40分ほどでしょうか。大通りに面したビジネス・ホテルに到着しました。交差点には百貨店が隣接。いまどきこれだけ百貨店が立ち並ぶのは壮観です。銀座あたりでしか見ることのできない光景になりました。ただ、そのためか夜の9時を過ぎると照明も途絶え、いささか寂しい光景になるのはやむを得ません。

 さて、いよいよ拓の計画した京都・大阪の旅が始まりました。

20091014(水曜日:快晴)

 
 昨日は午前中往診。昼休みには、東急ホテルで沼津北ロータリークラブとの合同例会に出席しました。国際ロータリー第2620地区の飯田 祥雄ガバナーの公式訪問です。

 三年前に自分自身がガバナー補佐を務めた年度には、井上雅夫ガバナーとともに例会に出席しました。つい昨日のことのように思い出されます。普段お目にかかることも無い、北クラブの会員の皆様にも久しぶりにお会いすることができました。弁護士の伊東哲夫先生には北クラブの会長としてガバナー補佐当時ずいぶんと助けていただきました。

 午後からの診療のために、逃げ帰るように例会場を後にしましたが、楽しいひと時でした。北クラブの岩崎さんには、先日の沼津朝日の原稿「同苦の心」読んだよ、いい活動をしているね、と声をかけていただきました。いつも励ましてくださる岩崎さんには感謝するばかりです。

20091017(土曜日:雨)

 仙台でのパ・リーグCS第一ステージは、楽天がソフト・バンクに連勝し札幌での第二ステージに進出することが決定しました。今年限りで解任された野村監督がはたしてどこまで楽天を率いて進むことができるか、興味が尽きないパ・リーグです。

 三木谷楽天オーナーが野村監督を解任した真の理由は不明ですが、もしも楽天の快進撃を影から応援するための隠れ多極主義者のような役を意識して彼が演じていたとすれば、たいしたものです。ブッシュ大統領も真青です。

 セ・リーグに比較して混戦のパ・リーグの方に興味をそそられるのは私ばかりではなさそうです。

20091021(水曜日:晴れ)

 プロ野球はCS第二ステージが始まった。さて、日本シリーズを戦うのはどのチームになりますやら。

 今朝は東の空に明けの明星が輝いていました。デジカメで何とか撮れました。皆さんもぜひ早起きしてみてください。

(●^o^●)

画像の説明

画面中央が金星です。午前5時35分ごろです。近くに月がかかると最高なのですが。



 今日の美しき事でした。

20091024(土曜日:曇りのち雨)

 久しぶりの雨です。朝は鶴ちゃんとウォーキングしました。桃澤神社の老木は樹齢どれほどなのでしょうか。老木の前に立つと、心が静まります。遠い遠い遥かな時間の彼方から風の音や葉の擦れ合う音が聞こえてきそうです。

桃澤神社の老木

 老松を歌った万葉集の歌が思い起こされます。以下はインターネットからの引用です。

■■

 「 一つ松 幾代か経(へ)ぬる吹く風の

     音の清きは年深みかも 」 
  
         巻6−1042 市原王 

 <一本松よ おまえは幾代もの長い歳月を経てきたのだろうなぁ。風が爽やかに吹き、こんなにも清らかな音を響かせているのはお前が逞しく生き抜いてきたことを寿(ことほ)いでいるようだねぇ>

 744年1月、貴族の子弟たちが 安積王(聖武天皇皇子)の宮近くで酒宴を開きました。作者は、活道岡(いくじがおか;京都) とよばれる丘の上に立つ大樹の下で松籟(松風)を聞きながら、新年を賀し、「老松にあやかり各々がた末永く長寿であれ」と祈ります。

 主賓の安積王は病弱な体質であっただけにその思いは切実なものがあったようです。悠久の時の流れの中での心地よい松籟。気品と透明感があふれ「王朝時代の松風の美感を先取りした(山本健吉)」センスが感じられる名歌です。

■■


20091027(火曜日:晴れ)

 台風20号が過ぎ去り、台風一過の朝でした。東の空には明けの明星が切れ端になった黒い雨雲の間から顔を出していました。

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明けの明星が切れ端になった黒い雨雲の間から顔を出していました



 西に目を向けると、雨雲が塊をなしていて、東の空から登る太陽の光が木々を照らし始めていました。

画像の説明

東の空から登る朝日の光がお寺の木々を照らしていました



 自然は千変万化。毎日空を見上げているだけでも飽きることがありません。いずれ自分も土くれに還る日がやってきます。「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」というある世捨て人の述懐が身に迫ってくるのも、そう遠い先の話でもないのです。

20091028(水曜日:晴れ)

 転覆の船内から男性3人救出 漁船遭難から4日。というニュースが駆け巡りました。以下はネットからの引用です。

  • 伊豆諸島八丈島近海で24日から行方不明になっていた8人乗りキンメダイ漁船「第1幸福丸」(佐賀県・鎮西町漁協所属)を捜索していた第3管区海上保安本部(横浜市)は28日午前、現場海域で転覆している船体を発見。同日昼ごろ、3管の潜水士が船内から男性3人を救助した。

 解説の中で一番印象的だったのは、生存者の中に精神的にも肉体的にも4日間みんなを支えつづけたリーダーがきっといたはずだ、というものでした。確かに違いない、と痛感するのです。人が作る組織である以上、リーダーの存在は実に大きなものです。

我が家の秋

 庭の柿木の葉が色づきました。栄養失調からか実は未だに付けませんが、葉を見ているだけでも飽きることがありません。