2010 年 02 月のページ


02月01日(月曜日:雨、夜半から雪模様)

 今日の仕事はいささか辛く、長く感じました。風邪をこじらせて微熱があったようです。午後からは雨になり、天気予報では夜半から東京でも雪になるようです。

 テレビが報じる午後三時の朝霧高原の様子では、結構な雪が降っていました。東京では交通機関が麻痺しなければいいのですが。雪国の人々から見ると、本当にお湿り程度の雪ですら、東京では生活が麻痺してしまいます。

 冬至から一ヶ月以上が経過し日ごとに日照時間が伸びているのが実感できます。診療が終了するころになっても、まだ外は真っ暗闇にはなっていません。これから日ごとに春が近づいてくるに違いありません。

 さてさて、今年の春はどんな出来事が起こるのでしょうか。

2月2日(火曜日:曇り)

 風邪のために午後からは寒気がして参りました。明日は節分。そして立春です。いよいよ春が近づいてきます。今が一番心ウキウキする季節かもしれません。

河津アヤ桜の開花

いよいよ河津アヤ桜が本格的に咲き始めました。


2月3日(水曜日:晴れ)

 ようやく風邪も峠を越したようで、寒気も取れて楽になりました。失ってみると健康の有り難さが身にしみます。

 それにしても、腰から背中にかけての寒気には参りました。とにかく、ぞくぞくとしてすきま風が吹き抜けるような気がするのです。家内が買ってくれたフリース製のネックウォーマーを腰に当ててみると、なんとなんと、ものすごく楽になり驚きました。

 以前からフクラハギ・ウォーマーというかサポーターは必需品でした。仕事場はコンクリートの上にマットを引いただけの環境ですから、足元から底冷えが酷かったのです。若い頃は苦にならなかったのですか、ある時からお腹の調子が悪くなり下痢をするようになり、なんでだろうか、と試案した後にサポーターを常用するようになりました。それ以来お腹の具合も良くなりました。足元のストーブも不要になりました。

 やたらに暖房をかけて余計なエネルギーを消費するのは地球に負担をかけるばかり。知恵を働かせるだけで地球に優しくなれます。

2月4日(木曜日:晴れ)立春

 いよいよ立春です。まだまだ気温は低く、とても春を実感出来る気候ではないのですが、気分的にはウキウキしてくるから不思議です。

 ロータリークラブの例会で会員増強のために先日行われた同伴例会の反省会が行われました。それぞれの会員が1-2分で感想を述べたのですが、色々勉強になりました。

 どんな組織でも同じだと思いますが、組織の中には三種類の人間がいるように思います。一生懸命に活動する人。自分は活動しないのに批判ばかりする人。そして理想論ばかりを述べ立てて行動はしない人。実に興味深いものです。

 一つの世界だけにいると、どうしても視野が狭くなります。その世界での暗黙の了解といったものに心底染まってしまいます。それが不思議でも何でもなくなります。

 ロータリークラブは異業種の人々が集まりますので、様々な視点からの意見を聞くことができます。クラブ活動で得たものは掛け替えのない友人と、そんな様々な視点でしょうか。

2月6日(土曜日:晴れ)

 この冬一番の寒気が南下し北陸、北海道では大雪。新潟では昭和59年以来の豪雪のようです。80センチを越える積雪は大変な負担です。

 今週は風邪の後遺症で朝のウォーキングも今日が始めて。鶴ちゃんと久しぶりに歩きました。やはり夜明けは美しい。

夜明けの様子

久しぶりに見る夜明です。



 健康の有難さが身に染みた一週間でした。

 今週起きた、朝青龍の突然の引退には驚きましたが、やはり日本の国技である以上、やむを得ないのでしょう。相撲道、という、やはりそこには人格を陶冶する(生まれついた性質や才能を鍛えて練り上げること)という面があります。ただ相手をやっつければ良い、ただ勝てば良い、というものではありません。日本人はそこに美しさを見てきたのであり、モンゴル人である朝青龍には容易に理解できない部分だと思いますが、そこは師匠が教えなければなりません。師匠の力不足が招いた悲劇かもしれません。

2月7日(日曜日:晴れ)

 一週間風邪で苦しみましたが、何とか回復しました。今日は良き仲間、ゴル友とラウンドしました。去年の末ごろからでしょうか、スイングを改良してから飛距離がグッと伸びました。大切なのは振り切ること。あまり打とうとする事を意識しすぎると良くないようです。それにしても、何度やっても思ったとおりになりません。当たり前ですが。

 それでもアプローチショットに冴えがみえました。何度かアプローチでパーを拾いました。それになにより、パットが良かったのが救いです。前回はパットが決まらず嫌になりましたが、その後に練習で気付いた点を修正したところ、今日は一回もスリーパットがでませんでした。ただし4パットが一度あり偉そうなことは言えませんが。

 何はともあれ、精進、精進、また精進、それしかありません。

2月10日(水曜日:晴れ)

 参りました。昨夜食べたカタクチイワシの酢の物で胃アニサキス症になりました。午後6時半頃に夕食を取り、9時半頃床に入り井上ひさしさんの「新説 遠野物語」を読んでいたら、10時過ぎでしょうか、突然吐き気を催し嘔吐しました。それから一晩中、心窩部の痛みにうなされました。もう少し長い時間、酢で締めた方が良かったのでしょうか?

 さっそく今朝いつも診ていただいている別宮先生の病院を受診。内視鏡で一匹アニサキスを除去していただきました。標本を見て、こんなものが自分の胃袋に入っていたのかと思うと、何か不思議な気がします。内視鏡的には胃粘膜に激しいアレルギー反応があり強い浮腫と腫脹がありました。出血斑も散在していました。あれでは痛いはずです。

 沼津ではカタクチイワシでのアニサキス症は、とても多いそうです。二週間は食事に気を付けるように、というご指示ですので、病人食で我慢するしかなさそうです。カタクチイワシは、しばらく遠慮しましょう。それにしても、痛いですね。アニサキス症は。

(●^o^●)

2月11日(木曜日:雨)建国記念日

 今日は朝から寒々しい雨模様。もう春が来たかと思われた天候から一転、冬に逆戻りです。今日は静岡第三分区のIM。9クラブの仲間が一年に一度集まって友情を深めます。思い出すと三年前、2007年2月4日自分自身がガバナー補佐として挨拶したのが、本当につい昨日の事のように思われます。午後から出かけなければなりません。

 昨夜はアニサキスの痛みからも解放され、ぐっすりと眠ることができました。心穏やかに眠れることほど、貴重なものはありません。シェークスピアの台詞が心に響きます。

叫び声が聞こえたようだった、

「もう眠りはない、マクベスは眠りを殺した」

 あの無心の眠り、心労のもつれた絹糸をときほぐしてくれる眠り、その日その日の生の終焉、つらい労働のあとの水浴(ゆあみ)、傷ついた心の霊薬、大自然が用意した最大のごちそう、人生の饗宴における最高の滋養



 眠りが無い以上、マクベスは破滅するしかなかったのです。

2月14日(日曜日:曇時々晴れ)

 一ヶ月に一度のベトナムさわやか支援隊の定例会。三島の金原邸に夜、役員が集合しました。今年の活動計画、並びにベトナムへの旅の予定を計画するためです。自分たちで勝手に出かけて行けば事が足りる、というわけには行かず、オーストラリアに住む北村元さんをはじめ、みなさんの協力を得て初めて実現可能な奉仕活動の旅です。

 ベトナムでの活動計画には現地のみなさんとの意思伝達も必要であり、なかなか大変です。多くの人々の応援を得ている以上、ぜひともみんなの力を合わせて今年もより良い活動が出来ることを願っています。

2月16日(火曜日:雨)

 バンクーバーオリンピックも次第に熱を帯びてきています。今日はスピードスケート男子500メートルで二人の日本選手がメダルを獲得。銀メダルを獲得した長島 圭一郎選手(27)と、銅メダルを獲得した加藤条治選手(25)です。同じ会社に勤務する二人。努力肌と天才肌という違いもあって、二人は良きライバルだったのでしょう。

 私も昼休みにテレビ観戦していましたが、はらはらドキドキ。素晴らしいレースでした。カーブでの滑りは本当に迫力がありました。あの遠心力に抗してスピードを維持するのは、信じられないほど大変な事なのでしょう。本当にご苦労さまでした。

============

 先日トヨタの方がリコール問題で揺れる我が家のプリウスのプログラムをヴァージョン・アップしてくれました。車は事故があれば命に関わるだけにプログラムの間違い、いわゆるバグも許されません。それに比較すると、パソコンのプログラムなど子供だましといえるほどです。ウインドウズのバグなど数え上げたら切りがありません。あんな程度の製品でボロ儲けができるパソコン業界っていい加減だと常々思っていましたが、要は独占状態にあるので代替品が無いだけの話です。

 市場原理、競争原理とお題目のように唱えるアメリカ産業界で、もっとも成功した分野の一つがパソコン基本ソフトというのも実に皮肉な話です。自由だ民主主義だ、と彼らが唱え始めたら、それは金儲けの話だと思えば間違いなさそうです。

 考えてみれば、日本が平和の中にあった17、18世紀、アジアは中国という大国が冊封(さくほう)体制という名の元に平和を維持していたわけです。欧米列強が欲望むき出しでアジアを武力で蹂躙する前には平和が保たれていたのです。いまさら冊封(さくほう)体制は無いのでしょうが、しかし欧米諸国が取り仕切ろうとする時代、そこには戦乱が巻き起こるのです。アジアの知恵を結集して、21世紀のアジアの平和が築かれることを心から祈るばかりです。

2月18日(木曜日:曇りのち晴れ)

 午後からようやく久しぶりの青空。やはり青空は良いものです。

梅の花

のん梅が雨の中、密やかに咲いていました。


河津あや桜

 河津あや桜も8分咲きでしょうか? 診療も終わりが近づいた夕暮れ時。待合室の窓ガラスからも照明の光が漏れ出ています。



 春がもうすぐそこまで来ています。

2月20日(土曜日:曇りのち晴れ)

 ようやく暖かさが戻って来ました。午後から書店でDVDを購入しました。「スパイ大作戦」です。

 Wikipediaによれば、

 『スパイ大作戦』(スパイだいさくせん、原題 Mission:Impossible")は、1966年から1973年まで放送されたアメリカの人気テレビドラマ。1時間枠の番組。全171話。日本でも放送され人気番組になった。

 2010年2月、デアゴスティーニ・ジャパンからマガジン付きDVD「スパイ大作戦 DVDコレクション」が発売開始された。第2シーズンからの発売となっており、第2〜第7、第1のシリーズ順で最終的には全シーズンを収録する予定。



 とあります。新しい情報の書き換えが、こんなに早くなされていることに驚きます。購入したのは、この2月発売のものです。

 スパイ大作戦というと、私は受験勉強の頃を思い出します。高校三年生でした。受験勉強の合間に唯一見たのが、この番組だったのです。息抜きでした。本当にハラハラ・ドキドキ、そしてワクワクして見た記憶があります。毎回、毎回あっと驚くような仕掛けと結末。本当に飽きることがありませんでした。

 ところが今回DVDを見返してみて、いささかがっかりしました。記憶の中でのハラハラ・ドキドキがほとんど無かったのです。いやむしろ、この程度の内容で、そんなにワクワクしていたのか、とがっかりしたほどです。もちろん当時とは自分の年齢という違いもあるでしょう。あるいはITなどの進歩で、あの当時は最先端だったものが、今ではすっかり陳腐化した、という面もあると思います。

 なんにしても、見ない方が良かった、という思いが少ししたのは残念でした。中学時代の片思いの相手に40年ぶりに会った時って、たぶんこんな心境なのかな、と思ったりもしました。あの当時どうして、あんなにドキドキしたのか、今となっては想像もできない事態に陥るのでしょう。ほろ苦い困惑、ってこんな感じなのでしょう。

 大事な思い出として心の中に、そっと仕舞っておくのが智慧というものでしょうか。

(●^o^●)

2月21日(日曜日:晴れ)

 暖かな一日でした。と言っても、私はいささか疲れが溜まったためか出歩く気になれず家にいました。看護学校の試験問題などを作っていました。

 一息ついたところで英語の勉強も兼ねて、「ローマの休日」を見ました。DVDになってから、英語の字幕を見ることができるのが当たり前になりました。VHSテープの時代にはクローズド・キャプションという器械を通さないと字幕が見られませんでした。台詞を同時に、そのまま文字で確認できる仕組みです。外国語の学習には、多分最適の仕組みではないでしょうか。

 古典とは、時間を経て再読、再鑑賞に耐えられるものだけに与えられる形容だとすれば、ローマの休日こそ古典に相違ありません。何度観ても飽きません。解説によれば、1954年4月に日本で初上映され入場料は当時200円だったそうです。オードリーを見ていると、自分が少年や青年の頃に持っていた女性への憧れ、というものを、そのまま叶え続けてくれているような気がします。汚れなき美しさ、気品、知性、そしてあどけなさ、などなど。そんな女性は、そんじょそこらにいるはずもないのですが、だからこそオードリーは永遠に心の中に生きつづけるのでしょう。

 「心にとどく英語 (岩波新書)」という本があります。その中で、ローマの休日の中の有名ないくつかの場面の台詞解説が出てきます。なるほど、そういう意味だったのか、と目から鱗が落ちる思いでしたが、ユーモアに溢れた脚本は観れば観るほど味が出てきます。

 1950年代初期、アメリカ本国では「赤狩り」と呼ばれる共産主義者排斥運動が行われた。映画産業はハリウッド・テンと呼ばれた人物たちがパージされ本作の脚本家であるダルトン・トランボもその一人だった。このため友人の脚本家イアン・ハンター名儀で参加をしていた(映画製作50周年を記念したデジタル・ニューマスター版(2003)ではトランボの名前がクレジットされた)。

 ここから俳優や監督は国内の監視をのがれて外国での撮影を好む傾向があった。人件費が安く済む点、アメリカの観客もヨーロッパの異文化を受容しやすかった点なども海外ロケの要因にある。イタリア側も映画産業に対し協力的であった。これは観光産業が目的で本作で紹介される名所はスペイン広場、パンテオン、コロッセオ、真実の口など枚挙に暇がない。またヨーロッパの産業もスクーターのベスパ、小型車のフィアットを登場させている。

 何より大きな影響を持ったのはファッションモードが世界へ発信された点にある。繊維産業により外貨を稼ぎたかった欧米のメッセージは大きな反響を呼び、ヘプバーンも「ヘプバーンと言えばジバンシィ」とされるほど、映画のみならずファッション革命のヒロインに成長していく。また日本でもヘプバーン・サンダルなどの名前が残っている。

 製作途中にはテロが頻繁に起こっていた。また撮影中のローマは猛暑であったため、メイクが流れ落ち、頻繁にメイクアップをしていた。



 とWikipediaの解説にあります。新聞記者役のグレゴリー・ペックがオードリーに1,000リラを貸す場面があります。そんなにたくさん、という王女に、たった1ドル50セントだ、と告げます。そのお金で王女さまは靴を買い、髪を切り、そしてジェラードを味わうわけです。崩壊過程にあると言われるドルも、当時は向かうところ敵無しだったのですね。それほどの格差ではないにしても、ちょうど日本人が現在のベトナムに旅行したようなものかもしれません。

 半世紀経って世界の様子も様変わりです。

2月23日(火曜日:晴れ)

 暖かな一週間となりそうです。そうなると花粉症が本格的になります。自分自身もなんだか目が痒くなってきました。何歳でしたでしょうか、20年以上前でしたが家族で動物園にでかけ象の檻の前でクシャミが止まらなくなりました。

 それまで花粉症など縁がなかったのですが、それからは毎年春になると目も鼻も辛い時期を送るようになりました。本当にひどいのは一週間ほどなのですが、その間は辛いものです。患者さんの気持ちがよく分かります。

 2週間前から治療を始めなさい、とはよく言われることですが、自分も目薬をつけ始めました。軽く済むと良いのですが。

2月24日(水曜日:晴れ)

 南風が吹いて日本各地で記録的な暖かさ。長崎では二月としては120年ぶりの高温を記録。いよいよ春が、すぐそこまでやってきました。今朝のウォーキングでは、どこからともなく沈丁花の花の香りが漂ってきました。少し早すぎる気もしますが、最近の気候では何があっても不思議ではありません。

 オリンピックも佳境に入り今日は女子フィギアのシングルス。キム・ヨナ選手と浅田真央選手の戦い。二人とも素晴らしい演技で最高のスタートです。フリーの演技での決戦が、本当に楽しみになってきました。

梅の蕾

 ウォーキングの途中で。寒さの中でひっそりと咲く梅の花こそ可憐そのものです。これから咲こうとする蕾。


そして可憐に咲きました

そして可憐に咲きました。集団で咲くより、梅は一輪咲くのが似合っています。


2月25日(木曜日:晴れ)

 昨夜から今朝にかけてトヨタ自動車の豊田社長がアメリカ議会公聴会で、リコール問題に対して説明を行いました。テレビで一部を見ただけですが、豊田社長には同情を禁じ得ません。創業者の直系として満を持して就任したトップとして、こんな形で脚光を浴びるのは不本意に違いありません。

 アメリカ国内の様々な問題から、例えば秋に控えた中間選挙、GMを倒産させた政府の政策などなど、トヨタが生贄に近い形で吊るし上げられている、という見方も成り立ちそうです。バックにギアを入れていたにも関わらず160キロ近いスピードで暴走した、という一女性ユーザーの涙ながらの証言を聞くと、アメリカ国民もトヨタに対する不信感を掻き立てられたはずです。

 しかし、その証言の様子を見ながら私の脳裏に浮かんだのは、イラク戦争に突入する前、アメリカ議会で行われた以下の証言でした。Wikipediaから引用すると。

 1990年10月、クウェートの少女がアメリカ議会において、クウェート市内のイラク兵が病院で乳児を保育器から出し床にたたきつけたなどと涙ながらに惨状を証言、戦争に疑問を抱いていたアメリカ世論は一挙に反イラク色に染まったが、後に少女は駐米クウェート大使の娘で、現場にさえおらず、証言は虚偽であった事が発覚した。

 さらにその後、その殺害された乳児を埋葬したと主張するクウェート人医師も証言を行ったが、こちらも同様に虚偽であった。クウェートが占領された後の話で、戦争勃発原因とは関係ないが、アメリカの世論を反イラクに傾けることになった。



 アメリカのいつものやり口だ、とはもちろん言いませんが、そうでないことを祈るばかりです。トヨタはあまりにアメリカに依存し過ぎたのでしょう。中国やインドでの展開を図った他のメーカーは、トヨタほどアメリカで利益を上げられなかったために、逆にこのような袋叩きに会わずにすんだのかもしれません。チャイナ・リスクとよく言われますが、同様にアメリカン・リスクも考えなければならない時代に入ったのです。

 ひょっとするとアメリカは日本に乳離れを促しているのかもしれません。アジアのことは中国とよく相談して仕切ってくれよ、というサインかも。

 トヨタの世界線略が、これまでとは違った方向へ舵を切らなければならなくなった分水嶺だった、と将来分析される事件に相違ありません。無事解決されることを祈るばかりです。

2月26日(金曜日:雨)

 今日はバンクーバー・オリンピック最大の見せ場、女子フィギアシングルの決戦がありました。ちょうど昼休みの時間帯でしたのでご覧になった方も多かったのではないでしょうか。フリーの演技ではショート・プログラムと逆の出場順位。金 姸児選手の後に浅田真央選手が滑りましたが、キム・ヨナ選手が滑り終えた時点で勝負あった、と感じました。あの得点を越えるのは99%無理でした。それだけキム・ヨナ選手が素晴らしかった、ということです。決してビックリするような荒技を決めているわけではないのですが、キム・ヨナ選手の発するオーラともいうべき雰囲気は、周囲を圧倒していました。

 浅田真央選手も4年後には、ぜひそのようなオーラを発散する選手に成長して欲しい、と思いました。


 気づかないうちにプロ野球のキャンプも進み、もうすぐJリーグも開幕します。球春とはよく言ったもので、春が本当にそこまで来ています。様々な試験も行われ、いよいよ旅立ちの季節が近づいています。