2010 年 07 月のページ


07月01日(木曜日:晴れ)


画像の説明

いよいよ平成二十二年度の後半がスタートです。ロータリークラブ年度も新年度になりました。沼津西RCも今日から新しい会長・幹事のもと新年度がスタートしました。気持ちが新たになりますね。

杉山前幹事さんから例会で、沼津西RCの大先輩 森 延敏さんの訃報を聞き大変驚きました。仲間の一人から、最近は元気で商工会の会合にも時々顔を出しているよ、と教えてもらっていたからです。

 森 延敏さんは沼津西RCの初代の会長であり、私たちの文字通りの先達でした。いつもニコニコした笑顔で私のような、本当の未熟者を見守っていてくれた森さん。週末に執り行われるお通夜には、以前からの予定があり出席できないため、今夜家内と二人でご自宅を尋ねました。

 棺に入られた森さんは、本当にシワ一つない綺麗なお顔でいらっしゃいました。心から手を合わせご冥福をお祈りしました。これからも沼津西RCを天国から暖かく見守ってくださるようにお願いしてお宅を後にしました。

7月2日(金曜日:曇り)


画像の説明

 ウォーキングで毎朝家の前を通る山田さんの玄関先には、沼津の蓮興寺(れんこうじ)から株分けしてもらった見事な蓮の花が咲いています。本当に見事です。

 泥の中から、この様に美しい花が咲くことに遥か昔から人々は感動してきたのでしょう。

7月3日(土曜日:雨) カポディモンテ美術館展へ


画像の説明

 今日は以前から予定していた東京へ午後から出かけました。タクとスンと三人で近況報告をするためです。タクも夢に向かって毎日頑張っている様子。本当に高い高い山を越えなければ行けませんが、タクならきっとやりとげるでしょう。応援してあげるしか、私たちにできることはありません。

 御徒町の常宿の近くの居酒屋が閉店してしまい、今夜は少しはなれた所にあるお店に行きました。何だか三人してサラダばかりを注文していたような気がします。何しろ野菜大好きタクと一緒ですから。

 明日の事もあり三人とも日本酒は封印して地味なお酒で楽しみました。本当に楽しい一時でした。


 その様子はこちらから。

7月4日(日曜日:曇り時々晴れ)


画像の説明

タクの希望で午前中は三人で、「ナポリ・宮廷と美―カポディモンテ美術館展 ルネサンスからバロックまで」を見るために、国立西洋美術館へ行きました。美術館のホームページによれば、

 カポディモンテ美術館展

 2010年6月26日(土)〜9月26日(日)

 ナポリの丘の上に建つカポディモンテ美術館は、イタリアを代表する美術館として知られています。所蔵品の核は、16世紀にファルネーゼ家が収集した作品です。本展の前半は彼らが収集したルネサンスからバロックまでの作品を、後半は、17世紀のナポリ絵画を紹介します。かつての大貴族の栄華を物語る80点の名品をご鑑賞ください。


 とのこと。日本では戦国時代から江戸時代の半ばまでででしょうか。所代われば品代わる、とはよく言ったものです。陶器を例にあげるとよく分かります。日本にやってきたポルトガルやスペインの宣教師たちは、九州の大名たちが、一見何の変哲もない、まるで何の手も加えられていないように見える湯のみ茶碗に、信じられないほどの金額を支払うのを見て驚いています。

 何の手も加えられていないように見え、何の目的もなく無造作に作られたように見える作品に価値を見出す日本人。そのあべこべぶりに宣教師たちがいかに驚いたか。情報化時代の現代に生きる我々には、想像もできないものだったに違いありません。


午後からは藤沢の両親の所に顔を出してきました。ノン、タク、アヤの子どもの頃のビデオを届けに行きました。先日は姉夫婦が二人のために京都旅行を用意してくれたのですが、数日前になって父が眩暈に襲われドタキャン。姉には申し訳ないことをしました。

 今年で87になる父には、この蒸し暑い時期を無事に乗り切って、また一緒に旅行に出かけたいものです。

7月5日(月曜日:晴れ)


画像の説明

 相撲の世界が揺れています。一人の親方、一人の力士が解雇されました。日常的に行われていた賭博行為が表沙汰になり、追い詰められての処分でした。歴史と伝統のある相撲という社会の中の常識というのは、とても部外者には想像もできないものなのでしょう。

 どこの世界も時代とともに生きていくしかありません。芭蕉の言う、「不易流行」とは、絶えざる適応の試みの勧めに違いありません。

7月6日(火曜日:曇り)


画像の説明

 昨夜は東京でゲリラ豪雨で大変だったようです。アスファルトですっかり被われてしまった東京という大都会特有の問題でもあるようです。

 さて、先月の欄でご紹介した、「教育問題という名の「社会問題」を直視せよ〜和田中元校長 藤原和博氏に訊く」という記事。三回目の記事では、「公立学校での学習の内容をどうするか」という質問に対して、藤原和博氏はこう答えています。

 情報処理と情報編集力。これを身に付けることが重要です。情報処理能力、というのは100マス計算などで得られる力のこと。そして、自分の知識経験を組み合わせて問題解決をはかるのが情報編集力です。

 先生の役割は「出来ないことを出来るように、わからないことをわかるように」することです。

 そして、結果としてよい習慣、例えば朝8時に学校に来ることや、朝読書で少しでも集団で本を読むこと、それを積み重ねることです。3年で1冊も読まないか50冊読むかは大きな違いがあるでしょう? でも、集団でやっていれば、義務としてでもやるわけです。こうした良い習慣を付けることが大事です。


 今までは、鵜呑みにする人間を育てていたが、これからは自分で納得する人間を育てる方向へ変えるべきだ、と私は思うのです。これまでは新聞、テレビを見て、あるいは学校で教わったとおりにしていれば、一生安泰だったのです。そんな時代は、もう終わりました。

 指摘されているように、自分で情報を収集し、「自分の知識経験を組み合わせて問題解決をはかる情報編集力」が何より大切になっているのです。学校を変えない限り社会は閉塞感を強めるばかりだと思います。

7月7日(水曜日:雨)


画像の説明

今日は一日愚図ついた天候でした。午後4時前でしたでしょうか、まさにバケツをひっくり返したような激しい雨。映画「羅生門」を思い出しました。黒澤明監督は白黒の画面に現実味を与えるために、消防車から放水させ、しかも墨汁を混ぜた、といいます。ただの水では画面上、凄みが出ないのですね。こだわりにこだわって映画を作り上げた黒澤監督らしいエピソードです。

 黒澤監督自身が幼年期を振り返って語るインタビュー番組を以前観ましたが、小学校時代は、言葉は悪いのですが、昔で言う知恵遅れ、今で言うと学習障害を持つ子どもだったようで、教師や周囲からは馬鹿にされ、とにかく学校へいくのが嫌だった、とのこと。晩年の監督しか知らない私たちには、にわかには信じられない話ですが、アインシュタインが、やはり幼少期は同様に周囲から見られていたようです。大器晩成を絵に描いたような監督の人生ですが、高峰秀子さんも著書の中で書かれていたように、その努力は人並みはずれていたようです。

 天才とは努力し続けられる人の事だ、とは誰の言葉か忘れましたが、確かにその通りに違いありません。

7月8日(木曜日:晴れ)


画像の説明

第十七回東京国際ブックフェアーが東京ビックサイトで開催されています。テレビでも盛んに放映されています。それは、今年が電子書籍元年になりそうだからです。千社もの出展があり、「『電子書籍』 の動向が全てわかります」と題したパンフレットも手に入ります。

 iPad の発売で日本でも火のついた電子書籍。当然日本でも普及が進むはずです。日本の会社も、そして中国の会社も電子書籍端末を展示していました。紙の本への愛着から電子書籍に反発する向きがありますが、やがて沈静化するはずです。

 昨夜司馬遼太郎さんの、「街道をゆく 北のまほろば」を読んでいたら、十九世紀写真が発明された頃、写真機の発売を禁止するように政府に働きかけた画家たちがいたそうです。貴族や教会からの肖像画で食べていた画家たちが、写真によって仕事を奪われる危機感から、そのような行動を取ったわけです。

 iPad を発売禁止にしろ、という声が書店組合から聞こえてくることは、さすがにありませんが、危機に違いありません。現在の書籍流通システムの無駄の多さと頑迷固陋さには辟易していた自分としては電子書籍は大歓迎です。

 本当に何度も再読したい一生の友となった書籍は、豪華版で印刷してもらい手元で楽しみたい、というのが夢です。それ以外は電子書籍で手軽に読めれば十分ではないでしょうか。

電子書籍とオン・デマンド印刷。この二つのIT技術で読書の世界に革命が起きようとしています。

7月9日(金曜日:雨)


画像の説明

 「教育の抜本改革。それこそが将来の日本を救う」と題して、陰山 英男氏の記事が掲載されています。

 なぜ今、教育の情報化が必要なのでしょうか、という問いに対して先生は、この様に答えています。

 教育の情報化は、今後の日本の成長戦略の基軸です。経済のボーダーレス化によって、日本人が国内で就職できない時代が、そこまで来ています。情報化によって、教育を今すぐ抜本的に変える必要があります。

 先日、関西国際空港で私はショックを受けました。土産物店の店員の多くが、中国人だったのです。中国からの旅行客に対応するためでしょうが、従来なら中国語のできる日本人を雇っていたでしょう。それが今、中国人に代わっています。

 日本は、世界的に見ても賃金が高い国です。それに見合う高いレベルの仕事をしなければ、これからは生き残れません。例えば、日本で月給10万円の仕事があったとします。中国でいえば、相当な高給取りです。それだけの能力がある人材が、中国から大量に入ってくるでしょう。その結果、国内で仕事に就けない日本人が出てきます。

 既に欧州では国境間の壁がなくなり、人材が流動化しています。東南アジアや東京も、それに近づきつつあります。その波が、大阪にも間もなく押し寄せるでしょう。



 この点を私も心から心配しているのです。

 子どもの頃よく観たアメリカのテレビドラマに、「パパは何でも知っている』という番組がありました。Wikipediaによれば、

 パパは何でも知っている(ぱぱはなんでもしっている、原題:Father Knows Best)は1954年10月3日から1960年9月17日までアメリカのNBC放送とCBS放送で全203話が放送され、人気を博したロバート・ヤング主演のテレビドラマ。シチュエーション・コメディ。

 日本では1958年8月から1964年3月まで日本テレビ系列で日本語吹替版で放映された。



 とあります。粗筋には、「アメリカ中西部の架空の街、スプリングフィールドの南メープル通り607番地に住む中流家庭、アンダーソン一家(ゼネラル保険会社の部長で営業マンのパパと賢明なママ、3人の子供達:ベティ、バド、キャシー)に巻き起こる事柄を描いた、1話:25分のホームドラマ。」と記載されています。

 このドラマが放送されていた頃は少なくとも、アメリカでは父親は会社に働きに出かけ母親は家庭を守る、という家庭が普通だったということです。こうした家庭の形態を打ち崩し夫婦共働きをもたらしたのが、日本からの安い製品の輸入の激増だった、とはある本で読みました。

 つまりはアメリカにおける製造業が衰退し、家庭にあるテレビはアメリカ製から日本製に置き換わり、工場に一生勤めることで中流でいられたアメリカの時代は終わったのです。

 そして今、今度は日本がその岐路に立たされているのです。給料に見合うだけの付加価値を一人一人の日本人が市場から求められているのです。これは恐ろしい事です。そんな付加価値などいいから中流でいたい、と言っても、もうそれは通らないのです。それほど、日本の給料は高額になってしまったのです。

 しかし教育現場では相変わらず昔のままのやり方が続いています。その根底には、親たちがそれを求めている、という現実がもちろんあります。どこでもいいから高校は普通科に通わせたい、何でもいいから大学だけは卒業させておきたい。同じ親としては、痛いほどよく分かる気持ちなのですが、そんな甘えは許されないほど、現実は激変しているのです。

ただ、最後まで読み終わって感じることは、今の日本では実現不可能だろうな、ということです。シンガポールあたりなら、すぐにでも実行しそうな計画ですが。

 今の日本はそれだけ変化に対応する能力が落ちている、ということでしょうか。「教育の地方分権化をやめて、中央集権にすべきでしょう」という提言などは、一見過激過ぎて受け入れられそうにありません。

 しかし基礎教育という面でみれば、私もその提言には大賛成です。習得しなければならない基礎学力を、いかにスムーズに短時間で身につけさせるか、そのためにこそ情報技術を最大限活用すべきだ、というのが一番の論点ではないでしょうか。  

 まずは上記の記事をご覧ください。

7月10日(土曜日:晴れ)


画像の説明

ちょっと、いいお話です。

 知的障害者の雇用に熱心に取り組んできたある会社の専務さんのお話です。雇用している知的障害者の女性達が、施設に入れば,満員の通勤電車に乗ったり,先輩に怒られたり,辛い思いをして働くことなく,楽に一生を過ごせるのに、なぜ彼女たちがそれほど強い責任感を持って熱心に仕事に取り組むのか,専務さんは不思議で仕方ありませんでした。ところがある法事でお坊さんから聞いた話で得心が行ったのです。

 お坊さんは、こう説かれたそうです。

 人間の幸せには,

(1) 人に愛されること
(2) 人にほめられること
(3) 人の役に立つこと
(4) 人から必要とされること

 の四つがあります。そして,人に愛されること以外の三つの幸せは,働くことによって得られるのです。


 本当に、その通りだと私も思います。眼科医として患者さんの苦しみを取り除くことができたとき、私も幸せを感じるわけですが、昨年のベトナム支援の旅でこんなことがありました。

 ある農家へ行った時のことです。農家の主が目が痛いので診察して欲しい、と突然言い出したのです。診察器具の何もない状態での訪問。話を聞いていると、どうも目にゴミが入った様子。「チリ一つでも目は痛む。心の傷も同じだ」と言ったのはハムレットでしたが、確かにチリ一つでもその苦痛は大変なもの。何とか発見して取り除いてあげたいのは山々なのですが、何しろ顕微鏡もなく肉眼ではいくら目を凝らしてもチリは発見できません。本当に一瞬、途方にくれました。

 その時テーブルの上に置いてあったペットボトルが目に入ったのです。水道のないベトナムの農家ではペットボトルの飲料水は必需品。さっそく主に横になってもらい頭の下にタオルを敷いて、上眼瞼を翻転しペットボトルの水で裏返した眼瞼を洗ったのです。これまでの経験から発見できないほとんどのゴミは上眼瞼の裏にこびり付いている事を知っていたからです。見事チリは取り除かれ眼痛は消え去りました。

 主からは感謝され、さらに支援隊の中で眼科医としての存在感の薄かった私も、少しは必要性を再認識してもらえたようでした。

 想像もできないほど、はるかに遠いベトナムの片田舎。水道も無い農家で、思いもかけず人のお役に立てたときの喜びの大きさは意外なほどでした。ですから、私にはこのお坊さんのお話が、実感としてよく理解できるのです。

 自分の子ども達にも、そうした喜びを、ぜひ味わってもらいたい、と心から願っています。そして、きっと、そうなってくれると信じています。

7月11日(日曜日:曇りのち雨) 


画像の説明

今日は参議院選挙の投票日。昨年の歴史的な政権交代から初めての国政選挙です。朝一番で投票を済ませてから、でかけました。午後6時半現在の出口調査では、「みんなの党」が勢いを示しているようです。渡辺代表の訴えの分かり易さが選挙民を惹きつけているのでしょう。官僚に取り込まれてしまったかのような菅総理には失われた魅力です。

中流でいることが難しくなりつつある国の現状を、国民もしっかり認識して変化に対応しなければダメです。今までのようには行かないのです。とにかく学校を出て、とにかく就職すれば一生安泰だったのは、過去の事になってしまいました。専門職かパートタイマーか、という二極化の時代になりつつあるのです。

 国民の一人一人が、その事をしっかりと自覚した上で、まずは教育制度を抜本的に変える必要があります。そうでないと、犠牲になるのは子ども達です。子ども達に罪はありません。厳しい時代を生きなければならない子ども達には同情を禁じ得ませんが、致し方ありません。と同時に、自分の力を思う存分発揮できるチャンスでもあるのです。

 親たちは自分の子ども達がみんなと同じでなければダメだ、と考えることは、もう終わりにしなければいけません。学校での授業も習熟度別にクラス分けして一律悪平等の授業は一刻も早く止めるべきです。そして、親も自分の子どもがBクラスであろうと、C クラスであろうと、現実を受け入れるしかないのです。数学が C クラスだからといって、人間として C クラスだ、というのではないのです。能力差を認めるのは辛いことですが、それは現実を受け入れる、ということです。

世の中には本当に頭のいい人がたくさんいます。いわゆる受験高に入って痛感しましたし、医学部に入ったら尚更そう思いました。50台後半になって様々な人々を見てきて思うのは、いわゆる頭のいい人が必ずしも幸せになっている訳でもないし、人に好かれている訳でもない、という単純な事実です。

 基礎学力は絶対に必要です。それ無くして個性はありえません。しかし、プラスアルファは自分の努力でどうにかなるものです。だからこそ、世の中には救いがあるのだと思います。共通一次試験の点数で人生がすべて決まったら、本当に地獄のような世界になってしまいます。

 子ども達には、ぜひとも基礎学力の大切さを理解してもらい、さらなる人生の味付けは、その人その人の努力次第だ、という点を心に刻み込んで欲しいのです。

7月12日(月曜日:雨)


画像の説明

 昨日の参議院選挙の結果が出ました。自民党が比較第一党に返り咲き与党の過半数割れとなりました。私の見るところ唯一の勝利者は「みんなの党」ではなかったでしょうか。渡辺代表による分かり易く一貫した主張が有権者の心を掴んだ、と言えます。

 一体全体、なぜ菅総理が突然降って湧いたように消費税率の引き上げを訴え始めたのか、もちろん私には分かりません。様々な解釈が開陳されていますが、私がもっともらしいと思えるのは、長期政権を目指して霞ヶ関を取り込むために、そうした主張を始めた、というものです。

 鳩山前総理と小沢前幹事長が霞ヶ関、マスコミ複合体に叩かれて退陣に追い込まれました。反霞ヶ関を唱える二人の退陣が菅総理を誕生させたわけですが、その経緯をつぶさに観察してきた市民運動上がりの菅総理の心肝を寒むからしめたのかもしれません。

 しかし、ものは考えようです。これで退路は断たれました。霞ヶ関に媚びている余地は、もうない、ということです。公務員改革も、みんなの党の意見に従って法案化する以外ありません。党内を説得する上でも、今回の結果は良かったのではないでしょうか。公務員の支持を受けている民主党に大胆な改革ができるはずもありません。自分で自分の開腹手術はできないのです。民主党に残された選択肢は無いのです。

 政策課題ごとに野党と協議して法案化すれば良いのです。国民にとって最良の結果が出るかもしれません。そこまで狙って霞ヶ関に取り込まれた振りをしていたとしたら、さすがは菅総理と言わざるをえません。只野総理になり下がった菅総理が、自分自身を取り戻せるかどうかの最後の決戦です。面白くなってきました。

7月13日(火曜日:雨)


画像の説明

西日本では激しい豪雨。川の氾濫や土砂災害が多発しています。梅雨末期の大荒れもようです。今朝も浅間神社までウォーキングし自宅まであと数分というところで土砂降りになりました。暖かいので風邪をひくこともないし、濡れてもべつだん困る分けでも無いのですが、さすがに出かける時から降っている時はウォーキングも止めにします。

さて新聞の生活欄に、「ふくらはぎで分かる体調」という記事が掲載されていました。一部を引用すると、

 冷房の効いた室内にいることが多い季節となり、手足の冷えを訴える人は多い。「万病の元」といわれる冷え。ふくらはぎの状態を毎日チェックし、マッサージすることで血流障害を取り除き、冷えやむくみ、夏にも患者が絶えないあかぎれやひびなどの症状改善にも効果があるという。

 小池統合医療クリニック(東京都新宿区)の小池弘人院長は「マッサージを続けることで血行が改善し、全身の血液状態の改善につながっていく」と〃ふくらはぎ健康法〃を呼びかける。


 実は私も数年前からふくらはぎの重要性は実感していました。冬になると仕事をする一階はコンクリートの上にラバーを敷き詰めただけのため、足元からの冷えがひどくなります。50歳を過ぎた頃からでしょうか、診療机に一日中座っていると、なぜか腹痛から下痢をするようになったのです。 

 最初は食べ物でも悪かったのか、と思っていたのですが、結論はふくらはぎが機能しなくなり、漢方で言う悪血の状態になっていたようです。記事によれば、

 ふくらはぎが東洋医学にいう『お血(血液が一定の個所に滞る状態)』の状態になると、免疫力の衰えや自律神経のバランスの乱れ、凝りやむくみなどさまざまな症状が出てくる。ひどくなると、エコノミークラス症候群などの状態になるという。


 ということのようです。それからは足元にストーブを置いて仕事中は冷えないようにしていたのですが、二年ほど前からはサポーターをするようになりました。それも厚手のものを二つするようになってからは、何とストーブも要らなくなりました。いかにふくらはぎが冷えると体調を崩すか、という事を実感した次第です。

 みなさんの中にも、同じような症状に悩んでいる方がいたら、ぜひサポーターを試してみてください。

7月14日(水曜日:雨)


画像の説明

 日産自動車が車の価格破壊に踏み切りました。以下はネット記事の一部です。

 さらに、小型乗用車でも「価格破壊」が起こった。

 先陣を切ったのは、またも日産だ。6月28日、7月に日本で発売する小型車「マーチ」の価格を、現行車から10万円ほど引き下げ、「99万9600円から」とした。この「大台切り価格設定」は、ライバルであるトヨタ「ヴィッツ」、ホンダ「フィット」、マツダ「デミオ」などの日系コンパクトカーより8万〜20万円ほど安い。

 マーチがこれほどまでの「価格破壊」を実現した背景は、「同車全数タイからの輸入」にある。タイでは工場誘致などの投資奨励として、小排気量車の「エコカー政策」を推進。法人税減額等の優遇措置により、「タイ生産→海外輸出」のコストメリットが上がった。また近年、アジア太平洋州(ASEANを中心に、東はインド、西はオセアニアをカバーする地域)でのFTA(自由貿易協定)が進み、同域内での「部品の相互補完」によるコストメリットが上がった。また、日本人技術者の努力により、タイ製造現場での完成車のクオリティが上がった。


 記事の題名は、

メイド・イン・ジャパン最終章? 

日産の価格破壊が予感させる

「クルマのユニクロ化」の必然


 最後の聖域、自動車産業に魔の手が迫っています。GMが倒産した昨年、以前憧れの的だったアメ車が、とうとうご臨終となりました。日本を中心にした低価格で高品質の外国車に淘汰されたのです。製造業が、また一つアメリカから消え去りました。

 日本が、その後を追うのでしょしょうか。それだけは、何としても避けなければいけません。残された時間は少ないようです。

7月15日(木曜日:曇り時々晴れ)


画像の説明

 今夜のクローズアップ現代は、iPS 細胞の開発者 山中 伸弥教授の特集をしていました。2010年4月からは京都大学iPS細胞研究所長に就任されています。アメリカでのiPS 細胞を用いたベンチャーファンドを巻き込んだ開発合戦の様子なども放映していました。つくづく思うのはアメリカという国は金儲けの国だ、ということです。金になることなら人殺し以外なら何でもやってのける、というのがアメリカの国是のようです。投資銀行で巨万の富を築いたファンド・マネジャーもアメリカ人としては決して跳ね返りでもないのでしょう。草の根のアメリカ人は、素朴に違いないのですが。

 山中教授のお話を聞いていて思い出したのは、学生時代に薬理の講義でしたでしょうか、聞いたお話です。ペニシリンの発見者フレミング博士とストレプトマイシンの発見を首謀したラトガース大学 (Rutgers University) のセルマン・ワクスマン (Selman Waksman) 教授の相違です。フレミング博士は特許権を放棄し、少しでも多くの患者さんを救うことを最優先したのに比較し、ワクスマン教授は特許を申請し莫大な富を手にした、という内容です。

 山中教授は、物欲に薄いというか、とにかく一刻も早く患者さんを救うことが最優先であって外国企業に特許権を抑えられてしまうと、患者さんのためには百害あって一利なし、と語るのです。

 同じ日本人として本当に誇り高い気持ちになりました。ぜひとも、研究が順調に進んでくれることを願っています。

7月16日(金曜日:曇り時々晴れ)


画像の説明

 いよいよ梅雨明けも近いようですが、西日本では豪雨の被害が続出しています。自然の力の恐ろしさを改めて思い知らされました。

 夜はベトナム支援隊の定例会。サンウェル沼津で行ないました。今年は参加者が少なく運営も四苦八苦。夏休み期間とは言え、一週間以上の休暇と20万近い費用を捻出できる人は、今の時代多いわけがありません。特に現役世代には、かなり難しい条件です。

 退職者で金銭的にも時間的にも余裕のある人々の集まりに、どうしてもなってしまいますが、それだけですと組織はジリ貧に陥ります。難しい問題です。会の運営も岐路に差し掛かってきたのでしょうか。

7月17日(土曜日:晴れ)東海地方は梅雨明け


画像の説明

 いよいよ梅雨明け。例年よりは若干早いようです。日差しの強さが、様変わりしました。朝のウォーキングで鶴ちゃんと歩いていて、雲の形が夏そのものに変わっていました。

 夜はスンと二人で行きつけの居酒屋で、美味しお酒と料理をゆっくり楽しみました。梅雨明けと共にビールも美味しくなり、何だか酔いが回ってしまいました。帰ってきてから、子ども達に電話をしまくりました。お母さんと一緒に飲みに行って帰ってきたけど、みんな元気でやっている?、と訊きまくったわけです。子ども達には、えらい迷惑な酔っ払いオヤジでした。

(●^o^●)

 昨夜と今夜はアイバンクの待機当番。眼球摘出に呼び出させれる可能性がありましたので、早々に仮眠をとって回復を待ちました。

 明日は代替の当番日。連休の中日で誰も引き受けてがなくて、已む得ず自分が引き受けざるを得なくなりました。損な役回りです。

7月18日(日曜日:晴れ)


画像の説明

 「乾電池型の小型振動発電機,ブラザー工業が開発」と題した報道がありました。発表を引用すると、

 ブラザー工業は,乾電池のように使用できる小型振動発電機「振動発電池」を開発した。例えば,振動発電池をリモコンに取り付けて振ると,その振動を使って発電し,リモコンを操作できる。

 振動発電池を使うことで「半永久的に電池交換が不要になり,廃棄物の削減にも貢献できる」(同社)とする。


 と、あります。つまりはリモコン程度の必要電気量なら電池を半永久的に交換しなくてよくなる、ということです。廃棄物も減らせます。すごいアイデアです。

 先日はタクが論文を書くのにプリンターが必要だ、というので、上野の量販店でプリンター選びをしたのですが、購入したのはブラザー製。全て前面で処理できる設計が気に入りました。我が家のファックスもブラザー製。質実剛健、という感じの作りが私のお気に入りです。

 こういう企業は応援したくなります。ただ値段が安い、というだけでない、日本人の感性が縫い込まれた製品を、これからもぜひ作り続けて欲しいものです。

7月19日(月曜日:晴れ)


画像の説明

今日は海の日で休日。土曜日に仕事をしなければならない私には、こうした連休は本当に有難いの一言です。週休二日の方って、本当に楽でしょうね。因果な商売です。

今日はスンと一緒に藤沢周平さん原作の映画、「必死剣鳥刺し」を観に行きました。スンは、「踊る大捜査線」を見たかったようですが、必死剣鳥刺しで話がつきました。おなじみ海坂藩が舞台ですが、原作は以前に読んだ記憶があります。

 あっと驚く最後のどんでん返しがビックリでしたが、それ以上に感じたのは日本の四季の美しさ、ということです。日本人は、四季の移ろいの中で生きてきて、これからも生きていくのでしょうね。うれしいにつけ、悲しいにつけ、季節の移ろいの中で一喜一憂していく。それが何千年前から変わることのない日本人の人生だったのです。

7月20日(火曜日:晴れ)


画像の説明

 日本全国で猛暑日が続出しています。世界的にみると、ロシアでは猛暑による被害が深刻。毎日新聞によると、

【モスクワ支局】ロシア全土で記録的な猛暑が続き、干ばつや山火事の被害が拡大している。水難事故による死者は先週だけで230人を超えた。

 地元メディアなどによると、モスクワでは17日に気温が35度に達し、同日としては過去130年の観測史上、最高を記録した。市民のなかには、暑さに耐えかねて公園の噴水に飛び込む人も。気温は今後、40度に達する可能性もあるという。

 国内では1000万ヘクタールの耕地が干ばつにより壊滅し、穀物価格の高騰が懸念されている。山火事の被害も2万6000ヘクタールに及び、政府は国内17の地域で非常事態を宣言した。


 とあります。かと思えば、アルゼンチンでは寒波の被害が深刻。朝日新聞によれば、

【サンパウロ=平山亜理】真冬の南米を強い寒波が襲い、アルゼンチンやパラグアイ、ボリビアなどでは寒さによる死者が続出し、雪や強風のため、航空便に大幅な遅れが出るなど混乱している。

 アルゼンチンでの報道によると、低体温症などで19日までに13人が死亡したほか、暖房の不完全燃焼と見られる一酸化炭素中毒で33人が死亡した。南部や中部では18日、零下14度を記録。ブエノスアイレスは16日、零下1.5度と過去10年間で最も寒かった。

 また、パラグアイでは4人が死亡。北部では牛200頭が死んだ。当局は19日、「農場は寒さのための対策がなく多くの牛が死んだ。12万ドルの損失」と発表した。ボリビアの高地では零下14度を記録。東部でも先住民6人が寒さのために死亡し、各地で休校も相次いでいる。


 今日の写真では、そんな日本の猛暑の中でも、秋に向かってコスモスがしっかりと成長しています。自然は準備怠りなしです。

7月21日(水曜日:晴れ)


画像の説明

 猛暑が全国を襲っています。新聞によると、60歳以上の高齢者はスポーツをしていなくても熱中症に注意する必要があるようです。

 60歳以上で熱中症になった人の6割が日常生活の中で発症していることが、日本救急医学会の調査でわかった。高齢者は重症化しやすいため、専門家はエアコンなどによる室温の管理や十分な水分補給を呼びかけている。

 調査は学会が2008年6〜9月に実施した。全国の救命救急センターや救急科のある82施設で、調査期間中に熱中症で受診した913人を調べた。60歳以上の228人のうち、63%にあたる144人が特にスポーツや仕事をしているわけではない日常生活で発症していた。

 症状を3段階に分けると軽症では、めまいやこむら返りが起こる。中等度は頭痛、嘔吐(おうと)、倦怠(けんたい)感。重症の場合は意識障害や肝、腎機能障害など。重症の198人のうち4割の81人が60歳以上だった。

 調査責任者の三宅康史・昭和大准教授によると、初期症状は頭痛やめまい、吐き気などで特有の症状ではないので気づきにくい。高齢者は暑さに対する感覚が鈍く、若い人より体内の水分量が少ないので体温が上昇しがちだ。このため熱中症になりやすい。熱中症は屋内でも発症する。湿度計付き温度計を置き、室温28度、湿度60%になったらエアコンを使うなど、目で確認できる温度の管理が重要だという。

 三宅さんは「高齢者はのどの渇きを感じなくてもこまめな水分補給をして、エアコンや扇風機を使って定期的に室温を下げることが予防への一歩」と話している


 自分が熱中症になるなんて夢にも思っていなかったのですが、数年前に真夏の炎天下にタクとテニスをしました。激闘だったのですが、何と終了後に気分が悪くなり体温が下がらなくなったのが自覚できました。これが熱中症かと得心が行きました。スポーツドリンクを飲み、頭から水を浴びて対処しましたが、とにかく体温がなかなか下がらないのです。本当にびっくりしました。

 年寄りの冷や水、と言いますが、夏には年寄りに一番必要なのは、「冷や水」かもしれません。

7月22日(木曜日:晴れ)


画像の説明

先週末の慰労例会を休まざるを得なかったので今日の例会では沼津西RCの皆さんと久しぶりに会ったような気がします。皆さん元気でやっているかな、と気になり出すと、ロータリークラブにはまっているんだよ、と大先輩のロータリアンが教えてくれましたが、その通りに違いありません。

先日の記事にこんなものがありました。

 「耕さない田んぼで利益の出るコメ作りをする」というのです。一部を引用すると、

 田んぼを耕さなければおコメはできない――ほとんどの人がそう信じています。しかし、私は耕さない田んぼで、肥料も農薬も使わずにおコメを作る方法を、20年かけて考え出しました。この「不耕起栽培」をやっている農家は、経済的にもうまくいっています。

 今、普通に田んぼを耕し肥料・農薬を使っておコメを作ると、一キログラム約300円の生産費がかかります。ところがおコメの卸価格は200円強。補助金も焼け石に水で、人件費をタダと見てようやくトントンです。

ところが不耕起栽培で作ったおコメは、無農薬・無肥料で安心なので高い値段で売れます。私の家のそばの農家は一キログラム600円以上、新潟県のある農家は3,000円以上で売れています。トラクター代やその燃料費、農薬・肥料代がかからないので、利益もしっかり出ます。


 提唱実践者の岩澤信夫さんは、大変なご苦労をされたに相違ありません。常識に挑戦するのは並の苦労ではないからです。人は応援してくれません。うまくいかなければ、それみたことか、と影で笑うのが世間というものです。

 一つのポイントは冬の間も田んぼに水をはっておく、という事のようです。その間にミミズが繁殖し田んぼを豊にしてくれる。そのおかげで岩澤さんの不耕起栽培の条件が整うようです。

 農薬漬け、機械漬けにしてきた農政、農協の罪は重いと思いますが、いまからでも遅くはありません。日本の足腰、農業がぜひとも生まれ変わってほしいものです。

7月23日(金曜日:晴れ)大暑


画像の説明

一年で一番暑いとされる大暑の今日、確かに日本中が暑さにうだりました。熱中症で入院する人が続出し意識不明の重体患者さんも出ています。

 今人気なのが子ども達を安心して遊ばせることのできる冷房完備の遊戯場。親は熱中症の心配なく、また衣服を汚すこともなく遊ばせることができる利点があります。しかし、こうしたところで遊んでばかりいると、ますます体温管理能力の弱い子どもばかりが増えてしまう、と考えるのは杞憂でしょうか。

さて、こんな題名の記事が掲載されていました。題して、「アジア・アフリカの中小国 貿易、中国頼み鮮明:制裁の影響緩和 資源輸出で黒字も」です。一部を引用すると、

 国際通貨基金(IMF)の統計を基に、01年、05年、09年の各年について貿易額に占める対中貿易額の比率が20%以上の国(地域を含む)の数を集計すると、4→10→19と増えてきたが、目立つのはアジアとアフリカだ。09年はアジア 10、アフリカ 8と両地域でほぼすべてを占めた。

 中国は世界へ工業製品を供給する「世界の工場」となる一方、膨大な人口を背景に輸入市場としても台頭。世界貿易に占める同国のシェアは01年の5.1%から05年に7.5%、09年には9.5%へ上昇した。モンゴルやスーダン、アンゴラ、モーリタニア、コンゴ(旧ザイール)などは原油や鉄鉱石、銅、コバルトといった資源類の輸出が中心で、対中貿易収支は黒字。半面、キルギスや北朝鮮、ミャンマー、ベナン、トーゴなどは輸入での対中依存が高く、収支尻は赤字だ。

 00年代になって中国に依存する度合いも急速に深まった。09年と01年の各国の対中貿易比率を比べると、キルギスの約40ポイント、ベナンの31ポイントをはじめ20ポイント以上も増えたところが多い。一方、日本との貿易比率が20%以上の国(09年)を数えると、ドミニカ、カタール、ブルネイ、パナマの4カ国にとどまる。世界貿易に占める日本のシェアは01〜09年に6.1%から4.5%に低下している。


 欧米諸国の植民地支配から脱出したものの、その後長い間貧困から抜け出せずにいたアジア、アフリカの国々が、いま中国の力を借りて離陸しようとしているのです。中国の対応には種々の批判があることは確かです。しかし、これまで日本も含めて欧米諸国がさんざん援助をしてきたにも関わらず、彼らが豊かさへの道を歩むことは無かったのです。

 人権問題を持ち出してイチャモンを付けるのが欧米流ですが、結局それも戦略の一部だということは歴然としています。とにもかくにも、彼らが豊かになれば中産階級として日本製品を買ってくれる可能性が出てきます。おおいに結構な事です。

7月24日(土曜日:晴れ)


画像の説明

昨夜は、なんと寝苦しい一夜だったことでしょう。風がそよとも吹かず、さすがに途中で空調をいれました。大阪万博をみるために京都の親戚を訪問した高校時代の旅を思い出しました。京都生まれの私ですが、物心付いたころには埼玉県川口市に住んでいましたので京都での生活は記憶にありません。末っ子の悲しみです。

 高校時代に親戚を始めて訪問し泊めてもらったのですが、京都の夏の夜の寝苦しさには、本当に驚きました。風がそよとも吹かないのです。「夏は暑くて眠れない。冬は寒くて眠れない」とは、映画「天国と地獄」での山崎勉演じる主人公の台詞でしたが、京都はまさに、主人公の下宿そのままの土地でした。京都育ちの母が、いつも口にしていたのは、「京都は寒くて住みにくい」でした。そんな母の言葉に、もう一度京都に戻りたい、という気持ちを感じる事ができるようになったのは、自分がずいぶんと年を取ってからでした。

転々と住処を変えてきた私も、沼津に住み始めて22年。人生で一番長く住む場所になってしまいました。第二の故郷です。そして終の住処にもなりそうです。

7月25日(日曜日:晴れ)


画像の説明

本当に暑い一日でした。そして夜中過ぎ、月曜日の午前一時頃でしょうか、雷鳴とともに激しい雨が屋根を叩き続けました。30分ほどでしょうか。これで地熱も下がって、少しは楽になるかもしれません。

先日ある記事で以下の内容を発見しました。「国別ではわからない「都市力」の驚くべき真実:成長率トップはハノイ、長春、アディスアベバ?」というのです。以下に一部を引用しますと、

 中国の経済規模が日本を上回ることが確実視されている。しかし、都市別で比較すると、中国最大の都市・上海は東京のわずか6分の1程度の経済規模に留まっている。それは今後の「伸びしろ」が大きいとも言い換えられる。

 つまり「都市力」は、一般的なイメージとの乖離が大きく、また将来においても大きく変動する可能性を秘めている。グローバル化が進む現在、世界経済を国単位で比較分析することは、もはや必ずしも有効ではなくなった。「本当に成長性が高い都市はどこか」を吟味することは、海外進出を狙う企業にとっても重要だ。近い将来、驚くべき成長が見込まれる世界の経済都市を、徹底検証してみよう。


 との前書きに始まり、「2008年時点の都市別のGDP規模を並べると、東京、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、ロンドン、パリ、大阪(+神戸)、メキシコシティ、フィラデルフィア、サンパウロという順になる。おおむね、あなたが想像している大都市と一致するだろう」となるのですが、17年後の2025年になると様相が変わってきます。

 そして、「17年後となる2025年の予測はどうか? まず目につくのが、中国やインドの都市の躍進だ。上海は25位から9位に、ムンバイは29位から11位に、北京は38位から17位に、デリーは37位から19位にそれぞれアップしている」となり、極めつけは、

 調査対象となった世界151都市のうち、「最も高い成長が見込まれる」と予想されたのは、ベトナムの首都・ハノイ。2位も同国のホーチミンが選ばれた。豊富な労働力を背景に、日本国内でも中国やインドに次ぐ投資先として人気がある。


 となっています。以前アメリカの雑誌ナショナル・ジオグラフィック誌が21世紀に入る特集で、一世紀、十世紀、二〇世紀における世界の代表的な大都市を特集していました。一世紀はエジプトのアレキサンドリア、十世紀はスペインのコルドバ、そして二〇世紀はニューヨークでした。

 はたして三〇世紀の世界はどうなっているのでしょうか。

7月26日(月曜日:晴れ)


画像の説明

今朝未明の雷雨には驚きました。午前一時過ぎでしたでしょうか。慌てて窓を締めて歩きました。


さてユニクロがさらなる新しいビジネスに取り組み始めました。

 『ユニクロがバングラ・グラミン銀行と合弁 日本企業初の本格「ソーシャルビジネス」』です。以下はその記事の一部です。

 カジュアル衣料品店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングは2010年7月13日、バングラデシュのグラミン銀行と10月をメドに合弁会社を設立し、バングラの雇用創出などにつなげる「ソーシャルビジネス」と呼ばれる事業を始めると発表した。今後、海外売上高を飛躍的に高めて成長を図るファストリの世界戦略を、海外の反発を受けない形で展開する狙いもある。

 ソーシャルビジネスの取り組みは、企業の社会的責任をアピールすることに注力する欧米で広がっているが、日本企業には本格的な事例が少なく、ファストリが日本企業のモデルとなる可能性もある。

● 収益を吸い上げずに現地に再投資

 今回、ファストリが提携するグラミン銀行は、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス総裁率いる貧困層向け少額融資機関。フランスの飲料メーカー「ダノン」や、水道関連企業「ベオリア」など、世界のさまざまな企業と組んでソーシャルビジネスを展開しているが、日本企業と連携するのは初めてだ。

 ファストリとグラミン銀行の合弁会社「グラミンユニクロ」はバングラの首都ダッカに設立。資本金は10万?で、ファストリが99%出資する。

 合弁会社は女性用下着や学校の制服などを製造し、グラミン銀行の借り手である農村部の女性を通じて販売。ユニクロの衣料品の原材料となる布地は中国や日本産だが、バングラ国内から現地調達することなどでコストを削減し、平均して1枚1ドル程度で販売される見込み。

 生産工場で働く人や、商品を販売するグラミン銀行の借り手である農村部の女性を含め、3年後に最大2000人の雇用創出を目指す。ファストリは収益を吸い上げずに現地に再投資し、雇用拡大などを目指す。


 ユニクロの柳井 正(やない ただし)会長は傑出した経営者に相違ありません。一つの新しいビジネス・モデルを作り上げるというのは並大抵の事ではないからです。ユニクロ栄えて日本が滅ぶ、と揶揄されることもありますが、偉大な指導者であることは間違いなさそうです。

 日本の企業としてはいち早くソーシャル・ビジネスに乗り出すあたりはさすがです。これからは、こうした経営者、指導者が続出してほしいものです。

7月27日(火曜日:晴れ)


画像の説明

今日も暑い一日でした。夜のNHKニュースでは、熱中症のために高齢者を中心に百名以上の犠牲者が出ています。


と、ここまで書いて救急センターから電話が来ました。午後六時ごろ鉄粉が目に入って痛みを我慢できない、という患者さんが来ているので診察をお願いします、という内容でした。今夜は夜間救急待機当番。

 来られたのは九時すぎでしたが、患者さんは清水町の方でしたから、遠路はるばる大変でした。診察してみると、まるでクラスター爆弾が角膜の上に落下したのではないか、と思えるほど一ミリ以下の鉄片が二〇個以上角膜に刺さっていました。しかも両眼です。除去する方も大変ですが、角膜を削られる方はもっと大変です。取り終わって、あまりの痛みに一時気分が悪くなってしまいました。

 一人で運転して来られていたので、軟膏を入れて眼帯をしてもらうわけにもいかず、無事に家まで帰れたか心配です。

 保護眼鏡は皆さん使用されている、と言われるのですが、作業に支障のでない、しかも防御も完璧な保護眼鏡が普及するといいのですが。

7月28日(水曜日:晴れ)


画像の説明

今朝も五時に起きてウォーキングに出かけました。愛鷹山に少し登って浅間神社でお参りしました。両親、家族の健康と、それぞれの子ども達が自分たちの夢を叶えられるように、と毎日お祈りしています。

 心なしか、吹く風に秋の気配を感じました。

秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

藤原 敏行


 と古今和歌集にありますが、私も少しは感性が豊かになったのでしょうか。

7月29日(木曜日:雨)


画像の説明

久しぶりの雨。夜半からは激しい雨が降り始め、慌てて寝室の窓を閉めました。今日は一日、雨になりそうです。

さて野菜工場が話題になっています。『病院や外食チェーンも導入 「野菜工場」人気のヒミツ』と題した記事がありました。

 狭い室内で大量生産でき、農薬もいらない――。「野菜工場」が人気を博している。野菜工場とは、室内に野菜や植物の栽培棚を設置し、蛍光灯やLEDの光を使って(太陽光を室内に取り入れるケースもある)、まるで工場のように計画的に生産するシステムだ。天候や季節の影響を受けることなく量産できるため、安定供給が可能だ。病原菌や害虫の被害にもあうことがない。したがって、それらを予防、駆除するための農薬も不要である。こうした安全性と効率性の高さが売りだ。


 まだまだ経済性の面で課題は多いようですが、いずれこうした工場によって、「店産店消」が珍しくなくなる日が来るかもしれません。

 コンテナの中に一式セットに収めて砂漠の国に輸出する、というプロジェクトも進んでいるようです。何事も単体だけの売買では、価格競争になってしまいます。システムとして販売することで価格競争から脱却できる可能性があります。日本の生き残る道は、そこにあるのかもしれません。

7月30日(金曜日:雨)


画像の説明

夜半に激しい雷鳴が二度ほど轟き、驚いて目が覚めました。今年は雷の発生が例年になく多いようです。宇都宮市は、「雷都」と自称し積極的に街をアッピールしていこうとしているほどです。

さて最近、社会貢献が会社の発展に寄与している、という話題です。

 『「共感」が人を呼ぶ! 国内市場掘り起こしの切り札「コーズ・マーケティング」に新たな動き』

 という内容です。著者は、「企業は社会貢献した方が儲かるし成長する」と主張するわけです。グラミン銀行とユニクロが提携したことは、ご存知のとおりです。国内企業でも、ボルヴィック、王子ネピア、アサヒビール、森永製菓、アメックスなど、数多くの企業がコーズ・マーケティングを販売戦略に活用しています。

●キーワードは「大義への共感」。

●ネットワークでプロジェクトが成長

 コーズ・マーケティング(Cause Related Marketing)はその名の通り、Cause(大義)が生活者に共感されることが重要だ。共感がなければ、商品の購買動機にはならない。共感を得るためには、「知ってもらう」ことが重要だ。


 これからの新しい企業のあり方を示唆する内容でした。

 

7月31日(土曜日:晴れ)


画像の説明

いよいよ今日で7月も終わり。明日から8月です。ベトナム支援の旅も二週間後に近づいて来ました。本当に月日の経つのは早いものです。

さて、観光立国を目指すという国土交通省の掛け声が聞こえて来ますが、現実はなかなか厳しそうです。こんな記事がありました。

(1)休日の分散化
(2)格安航空会社(LCC)の導入促進
(3)赤字公営リゾート施設の淘汰

 により日本の観光産業は劇的に変わる

 星野リゾート・星野佳路社長に聞く観光立国への道


 詳しく読むと、なるほどと頷くことばかりです。例えば、自動車産業などに並んで観光産業が日本の主要産業になることができる可能性があるか、という問いに星野佳路社長は、こう答えておられます。「日本の観光産業に対する需要は、直接的な需要だけで約23兆円。自動車産業(約49兆円)の半分近くある」。しかし主要産業になっていないのは収益力がないからだ、という指摘されるのです。製造業のように効率を上げて収益力を上げれば十分日本を支える産業になることができる、と自信を持って話されています。また、こうも指摘されています。

 もうひとつの理由は、観光産業は実は景気の変動に対して、強いということです。

 私は、バブル崩壊も今回のリーマンショックも経験しました。製造業は2〜3割も需要が落ちましたが、それに対して観光産業はほとんど需要が落ちていません。産業の規模が大きくて、安定しているのです。

 加えて、インバウンド(海外から日本を訪れる)旅行客が約800万人います。23兆円のうち1.5兆円がこのインバウンドによるものです。とはいえ、1.5兆円というのは、世界の中では28位にすぎない。フランスが年間8000万人の海外旅行客を呼んでいるのに対して、日本は800万人しかいないのです。

 今、日本は国の政策として、インバウンドの旅行客を3000万人にしようとしています。訪問客は約3倍以上に、金額的には1.5兆円を5〜6兆円にしようとしている。23兆円が、ひょっとすると10年後には28〜29兆円になるかもしれない。つまり、今の日本でこれだけ需要が大きくて、かつこれだけ成長する可能性がある産業というのは、他にないはずだというのが、第2の視点です。