日本の孤独(2000年6月掲載)

 9年前の原稿です。歴史というのは行ったり来たりなんですね。直線的には進まないものです。

 21世紀に入り唯一の超大国であったアメリカが金融破綻に陥り意外にもパックス・アメリカーナも短命に終わりそうです。戦後アメリカに依存してきた日本としてはアメリカの平和が続いてくれる事を願っていた、というのが本心ではないでしょうか。しかし、どうもそうはならないようです。

 田中 了さんの分析を読むと、いまこそ日本はアメリカ完全依存から脱却し、自らの才覚で道を切り拓いていくべき時のようです。もちろんアメリカと喧嘩しろ、と言われているのではないのです。おんぶに抱っこの状態から抜け出せ、それが国益に叶うのだ、という主張です。

 アメリカに遠慮ばかりをしていると国益を損なう恐れがある、というのです。資源獲得を初め、機敏に行動すべき時だというのです。
 
 アジアが中国を中心に回っていくのは、どうやら避けられそうにありません。2009年1月の自動車販売台数において、始めて中国がアメリカを追い越したようです。ある意味で象徴的な出来事なのかもしれません。

 アメリカに任せておけば何事も良きに計らってくれたのは、過去のことになりそうです。今こそ明治維新の時代に逆戻りしたのかもしれません。

(2009年2月)

ホームページ掲載時コメント

 20世紀最後の総選挙が近づいています。日本の21世紀を占う選挙です。今年は、アジアでも大きな動きがありました。

 3月には台湾の総統選挙で、漢民族史上初めて平和裏に政権委譲が行われました。李登輝前総統の人間としての大きさ、高貴さは、ちょっと私などにはたとえる言葉が見つからないほどです。京都大学で農政を学び、大の親日派である彼の一生は、本当に歴史に残るものであったでしょう。

 彼と比較しうる政治家を持っていない日本の悲しさを思わずにはいられません。

 それでも、傑出した指導者を持たなくても国の運営に差し支えが無い、というのは、実は幸せな事なのかもしれません。

 しかし、とにかく投票場へ足を運ばなければなりません。それこそが、民主主義を支える第一歩だからです。

 そんな思いで書きました。


 いま話題のベストセラー「国民の歴史」を読みました。著者の西尾幹二氏は、いわゆる自虐史観に反対する立場からこの本を執筆されています。中国の影響を受けてきた周囲の他の国々と異なり、日本がいかに独自の文明を築き上げてきたかを、800ページ近い大部な本の中で一貫して書いておられます。これまで知らなかった自国の歴史に関して、多くの示唆を与えられました。ただ、自虐史観に対抗するあまり、ややもすると優越史観に傾きがちなところが、いささか気になりましたが。

 それはさておき、読後一番心に残った言葉が、「日本の孤独」なのです。著者が日本の独自性を強調すればするほど、実はそのことの意味するところは、同じ文明を共有する仲間の国を持たない、ということなのです。さる文芸春秋でも「文明の衝突」の著者として有名な、米国のハッチントン教授が指摘していたように、日本が唯一「一国一文明圏」を構成しているとすれば、日本はその独自性ゆえに将来的に孤立する可能性が高い、という指摘は看過できないのです。

 いち早く近代化に成功し、欧米諸国の植民地にも組み込まれることの無かった日本。それに比較して、アジアの国々は太平洋戦争後独立したものの、冷戦の枠組みの中で悪戦苦闘を続けなければなりませんでした。天の時、地の利そして人の和を生かして、経済規模において今や全アジアの70%を占める巨大な経済大国となった日本。先日の小渕恵三前首相の葬儀に特使を派遣してくれた国々は、大平首相の葬儀の時の49ヶ国から83ヶ国と大幅に増加。これまでの戦後の地道な努力がこの数字に表れたのでしょう。そして元首級の派遣をしてくれたのは、ほとんどがアジアの国々でした。

 今アジアは大きく動き始めています。3月18日に行われた台湾の総統選挙では、漢民族史上始めて平和裏に政権の委譲が行われました。また6月13日には朝鮮半島の南北両首脳が55年ぶりに会談しました。まさに、アジアは新しい世紀に向かって歩み始めたのです。

 そして、わが国では今月の25日に総選挙が行われます。日本が民主主義国家として、アジアにおいて真の尊敬を集める時。それは20世紀最後の、この総選挙の投票率が、台湾総統選挙における82.69%を超える時ではないか。その時こそ「日本の孤独」を超越できるのではないか。私は密かに、そう希望しているのです。


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