2009年08年16日(日曜日:晴れ)
上野駅発京成スカイライナーで成田空港に到着しました。始めての乗車でした。やはり電車は快適です。渋滞や時間の遅れを気にする必要が全くありません。時間通りに第二ターミナルに行き着きました。
今年は成田に18歳から73歳までの10名の皆さんが集まりました。昨年は家族4人で参加しましたが、今年はそれぞれ都合がつかず私一人の参加となりました。果たしてどんな旅になりますか、期待と不安でドキドキです。
成田発ベトナム航空 VN955便にて11時日本を離れました。ハノイには現地時間14:30分到着。5時間弱でしょうか。やはりハノイは暑かった。今年の日本は梅雨が長引き本当の夏の暑さを経験しないままベトナムに来ましたので、なおさらそう感じました。
ハノイ空港にて。オーストラリアからは北村さんご夫妻と奥井悟さんが加わりました。去年と今年のハノイ空港で一番の違いは、今年はサーモグラフィーが置いてあったことです。到着した乗客を一人一人チェックしていました。旅行中も、結構な田舎に行っても住民がマスクをしているのには驚きました。
バスに乗り込み、まずは昨年も訪問したドアン・ゴックチャムさんのお宅を訪問。ベトナム戦争で戦死した女医トゥイーチャムさんのお母様です。ベストセラーとなった「トゥイーの日記」の日本語版を読んでいたので、昨年よりずっと身近な存在に感じました。
お母様に北村修治さんが帯をプレゼントしました。
メリア・ホテルでコーヒー・ブレイクの後、ハノイ駅19:00発の統一列車でダナン駅に向かいました。メリア・ホテルは最高級ホテル。以前は会も利用していたそうですが、最近は宿泊料が高騰し利用できなくなったようです。
ハノイ駅正面玄関
当日乗った統一列車。懐かしさを感じさせる車両です。
夜7時にハノイ駅を発車。中部の主要都市ダナンまでの約800キロ、14時間の長旅です。列車は三段ベット X 2の合計一部屋6人の構成。夜行列車の旅は久しぶりでしたが、三段ベットには驚きました。
夜行列車の旅は何年振りでしょうか。子ども達と以前、香川県の栗林公園に出かけたことがありました。あの時はブルートレインでしたか、夜行列車で出かけました。楽しかったですね。
まるで小学校の修学旅行のようなウキウキワクワク感を、久しぶりに覚えました。旅をしている、という実感がありますね。
コンパートメントにて。今回の旅の女性軍のみなさま。男性軍より、ずっとお元気です。
ハイバン峠前のランコー村付近
ハイバン峠から見たダナンの街並み
数々の交通の難所を越えてダナン駅に到着しました。「GA」とは、ベトナム語で駅の事。北はハノイから南のホーチミンまでの統一列車は単線。いつの日か、この二つの都市を新幹線が結ぶ日が来るようです。
途中の停車駅。フエ駅。
ダナン駅の正面玄関
以下は全くの受け売り。ベトナムの鉄道について北村 元さんから教えていただきました。戦争では破壊と修復を繰り返したに違いありません。映画 アラビアのロレンスでオスマン・トルコの鉄道をアラブ軍が爆破する場面がでてきます。物資輸送の生命線ですから、狙われるのは当然。戦争という愚かしさの象徴です。
日本のJRの総営業距離の2万キロにくらべれば、ベトナム鉄道公社の総営業距離は、日本のなんと1/8の26,00km。なかでも、ホーチミン市とハノイを結ぶベトナムの大動脈「南北縦貫鉄道」は、稼ぎ頭で、その長さは1730キロ弱あります。
着工は1899年、完成は1936年と、長い年月をかけました。この路線は、抗仏戦争時代、ベトナム戦争時代、攻撃の対象になり、幾度となく破壊と復旧が繰り返されました。
ベトナム戦争終戦の一年後、1976年に全線が開通。以後南北縦貫鉄道は「統一鉄道」と呼ばれ、南北統一のシンボルとしてすでに30有余年走り続けています。