20091122(日曜日曇り時々雨)

 三ノ輪橋駅から柴又駅に行くのは、乗り継ぎが結構厄介です。私一人ではとてもたどり着けません。電車博士の拓が、いてくれてこその快適な旅です。乗り換えは以下のとおりです。

電車 - 都電荒川線・早稲田行

 三ノ輪橋 発
 町屋駅前 着

電車 - 京成本線・京成津田沼行

 町屋(京成線) 発
 青砥 着

電車 - 京成本線快速・京成佐倉行

 青砥 発
 京成高砂 着

電車 - 京成金町線・京成金町行

 京成高砂 発
 柴又 着



大きな地図で見る



 上記の地図で見ると、途中荒川を越えて行くのですね。気付きませんでした。そして江戸川の手前で柴又となります。

寅さんの銅像の前で

 フーテンの寅さんの銅像の前で。拓は渥美清の映画を見たことがないようです。渥美 清(あつみ きよし、1928年3月10日 - 1996年8月4日)さんは、本名、田所 康雄(たどころ やすお)。東京市下谷区車坂町(現・東京都台東区上野七丁目)出身。



渥美清さんについて、さらに知りたい方はこちらから

柴又駅前にて

私もこの駅に降りたのは初めてでしょうか。


お団子を頬張って

お団子を頬張って。参道のお団子やさんで買いました。美味しかったです。


二天門前にて

二天門前にて。雨模様の寒い一日でしたが、濡れるほどには降らずに済みました。


帝釈堂を背景に

 帝釈堂を背景に。映画では、この場所で撮影が行われたはずです。映画「男はつらいよ」については、こんな記述がありました。

★★

 1968年、フジテレビにて、テレビドラマ『男はつらいよ』の放送開始。放送期間は1968年10月3日から1969年3月27日までの半年間。脚本は山田洋次と森崎東が担当した。最終回では「ハブに噛まれて寅さんが死ぬ」と言うストーリーに抗議が殺到した。

 1969年に「罪滅ぼしの意味も含めて」、松竹で映画を製作。これが予想に反し大ヒットとなり、以降シリーズ化となって製作の始まった山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズにおいて、主演の車寅次郎("フーテンの寅")役を27年間48作に渡って演じ続ける事になる。この映画のシリーズは、国民的映画として日本中の多くの人たちに親しまれた。映画のシリーズでは最多記録の作品としてギネスブックにも載るなどの記録を成し遂げた。

 しかし晩年は、渥美清 = 車寅次郎 という固定イメージとの戦いでもあったようです。当たり役の有り難味と苦しさと、両方を味わった渥美清さんの人生でした。

矢切の渡しにて

 矢切の渡しにて。大学生の時に一人でぶらっと来たことがありました。もう35年ほど前のことです。あの時は千葉側から船に乗りました。写真右奥に小さく船が写っています。10人も乗れば満員でしょうか。