知行合一(1995年12月掲載)

 知行合一(ちこうごういつ)とは、「中国の明の時代に王陽明が唱えた儒学の思想で知(知識)と行(行動)は合一(合致)していなければならないと言う考え。知識が先で実践は後からと言う宋の朱子の先知後行説に対して唱えられた。」また、「王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。」ともあります。

 世はまさにネット時代。ありとあらゆる情報が氾濫しています。情報の中で溺れてしまいそうです。情報量だけから言えば、誰もが昔の評論化程度には容易になれそうです。と言って、その情報によって一人一人が以前より連帯しているか、と問われれば、ますます孤立化している、と私には思われます。

 行動を通して連帯していくこと。それこそが、今まさに求められていることではないでしょうか。

 情報化社会だからこそ、知行合一の持つ意味がますます大きくなっているように私には思えるのです。 
(2009年1月)

1998年ホームページ掲載時



 世はまさに情報化社会。まもなくパソコンの出荷台数がテレビのそれを追い越そうとしています。会社でも一人一台の時代が近付いています。パソコンの扱えない人間はリストラの対象になる、というまことしやかなうわさ話が中高年サラリーマンを駆り立てています。中高年のためのパソコン教室が大繁盛。そんな時、はたして中高年世代が、どんな役割を果たすべきなのか、そんなことを考えてみました。

 最近JR線に乗っていると、白髪が目立ち始めた中年サラリーマン風の人が、パソコンソフトのマニュアルを必死に読んでいる姿をよく見かけます。世はまさにパソコン時代。街の家電量販店のチラシに、パソコンの安売り広告が掲載されているのを見ると、ほんの数年前パソコンをいじり始めた頃を思い出して、まさに隔世の感があります。パソコンを扱えない奴はリストラの対象になるという、まことしやかなマスコミの報道を毎日まのあたりにして、世の中年サラリーマンの皆さんも焦燥に駆られているのではないでしょうか。

 先日、ある鉄鋼メーカーに勤める友人と飲む機会がありましたが、彼の口から出てくるのは、ご多分に漏れず上司の悪口ばかり。いわく、「部長は口を開けば、データーを持ってこい、レポートを提出しろ、と言うばかり。部長の机の上はパソコンで作られたこうした書類の山。それを読んでいるだけで一日が終わってしまう。そんなことを言う前に、なぜ歩いて五分の現場を見に来ないのか。」同じように憤懣やるかたない、多くのみなさんの怨嗟の声が聞こえてくるようです。彼によると、会社の主力製品はベアリングに使用される特殊鋼で、パソコンブームのお陰で会社は現在絶好調。いささか皮肉でややこしい話です。

 しかし、最近のこうしたマスコミのいわば煽りに近い報道は、かなり眉唾物なのです。パソコンの持つ情報処理能力は大変優れたものですが、これを活かすには情報が社会全体の財産だと考えて、積極的に公開することが大前提なのです。おそらく、日本はこの点でアメリカに決定的に立ち遅れています。的確な情報処理とは、こうした優れた素材の中で一体どんな情報が今必要なのか、それを掴むことに尽きます。むしろ情報を切り捨てることの方が大切なのです。ともすると情報にもてあそばれてしまい、情報の中で途方に暮れているのが仕事をしていることなのだ、と錯覚しがちなのです。将来を担う子ども達が、こうした訓練を受けられずに成長してしまった時、社会の持つ活力に致命的な差が付いてしまうのではないか、その点を私は大変心配しています。

 中年サラリーマンの皆さん、心配することはありません。マニュアルなんぞいくら読んでも、問題の核心は掴めないのです。溢れる情報に振り回されることなく、世の中の流れを的確に把握するためには、これまでの皆さんの貴重な経験を活かし、より大きな視野を持つことの方がずっと大切なのです。そこにこそ、皆さんの存在価値があるのです。自信を持ちましょう。



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