2009年8月25日  まとめ

 早朝、成田空港に到着しました。今年のベトナム支援の旅もあっという間に終わってしまいました。昨年は家族4人で参加し私ども夫婦は娘二人を残して早めに帰国しました。今年は子ども達も学校が忙しく、家内も勉強会が入ってしまい、一人での参加となりました。

 当初は正直、気が乗りませんでした。一人で参加することに対する不安が先行したためです。10日間も休診にするのは、1998年にアムステルダムで行われた国際眼科学会に出席し、アイルランドのリチャードさんに会いに出かけて以来です。

 しかし案ずるより産むが易し、とはよく言ったもので、空港にたどり着いてみると、昨年同行したあの顔、この顔が懐かしく思い出され不安など吹き飛んでしまいました。一人で参加したために皆さんと話をする時間も逆に増えて、人間的な触れ合いも深まったように思います。

 金原 昇さんとは三日間相部屋で夜ベッドに入ってから寝付くまで、色々な事を話し合いました。両親が今も健在でいてくれる私とは異なり、早くにご両親を病気で相次いで亡くされ、御兄弟が取り残されてしまった金原さんのご苦労は口ではとても語れないものだったと思います。しかし、どこまでも明るく前向きな彼の姿勢は、本当に素晴らしいの一言です。

 独学で次から次に楽器をマスターし、造形、絵画にも守備範囲を広げる、その豊かな才能には、ただただ驚くとともに羨望せざるを得ませんでした。私は全くの芸術音痴。美術の通信簿はいつも、「2」でした。私にとって彼は、万能の天才レオナルド・ダビンチに匹敵する存在にすら見えます。

 また自力で会社を起こし100年に一度の大不景気の中でも、懸命に仕事に励み、そしてこの様なボランティアの旅にも参加する。口では言えても実行することは本当に大変です。

 今回参加された方々の中には、暇と金を持て余している人など一人もいませんでした。忙しい中自腹を切って、わざわざ休暇を取って参加しているのです。本当に頭が下がる思いです。

 ですので、そうした方々とお話をしていると、その前向きな考え方、そして生き方に学ぶところが大でした。初参加の三田村さんは、北村 元さんのブロッグをみて参加することを決めたそうですし、8年ぶりに再参加した若竹さんは最初公民館に置いてあった支援隊のパンフレットを見て参加されたそうです。家内に勧められて渋々参加した私などは、例外中の例外。へたをすると獅子身中の虫になりかねません。

 眼科医としての自分に何ができるのか。医療器具の無い場面での診療は、手錠をかけられてヒットを打て、と言われているようなものなのですが、ないものねだりをしても致し方ありません。枯れ葉剤被害者の子ども達は中枢神経を傷害されているためか強度の眼振が多く、治療手段も無いに等しいことがほとんどです。

 ただ昨年学校検診をさせていただき、日本と違って子ども達の目の健康まで手が回らないベトナムでは、そうした方面で少しはお役に立てることがあるかもしれません。これからの自分にとっての見当課題です。

 会として継続して運営していくのは本当に大変だと思います。ベトナムという異国での活動は、日本では想像できない困難さが付きまといます。北村 元さんの人間的なコネで、そうしたいくつもの障害を乗り越えて活動は幸い成功裏に終わっています。ベトナム枯れ葉剤被害者を何とかして助けたい、という会員の皆さんの純粋な思いを基礎にして、皆さんの智慧と力を結集して活動をぜひとも継続していただきたい、と心から願いました。
 
 来年も元気で皆さんと再会できる事を楽しみに、また一年間頑張っていくつもりです。数々の楽しい思い出を下さった会員の皆様に心から感謝申し上げ総括と致します。

 今年の旅のまとめとして、地域の新聞である沼津朝日新聞に投稿しました。