2015年10月22日-10月26日(木曜日-月曜日:支援活動日和)
■20151023日(日曜日)ハンディキャップ・チルドレン村での支援活動と被害者家庭訪問
今年もハンディキャップ・チルドレン村から活動を開始しました。所長さんは不在でしたが副所長さんが出迎えてくれました。
メディオ薬局からいただいた医薬品や鈴木良則さんからの支援金で購入したポカリスエット 100 リットル分を施設に寄付しました。
これから午前中は、新谷さんの音楽療法と眼科検診の予定です。
出迎えてくれたスタッフの皆さんです。
まずは子ども達と懐かしい再会です。6歳から16歳までの子ども達が通っているようです。昨年も会った顔が、懐かしく思い出されました。
眼科検診は機械もないので、大したことはできないのですが、結膜炎のありそうな子には、点眼をしてあげました。
ベトナムの子ども達の目は、日本の子ども達に比較して、とにかく綺麗です。アレルギーが無いからだと思います。アトピーらしき子も、アレルギー性結膜炎がひどい子も、診た限りでは一人もいませんでした。
新谷さんが実施してくれた音楽療法に集まった子ども達。
この子たちに幸あれと心から願わずにはいられませんでした。
23日午後からの被害者を持つ家庭訪問の様子
一軒目の家庭
ラン・ティン・トゥオンさんのお宅。真ん中の母親がトゥオンさん。
お父さんの体調は、帰省後は骨と内蔵に痛みがあった。肝臓の病気で亡くなった。南から帰省後に1969年 結婚。子ども達 5人。障害児は三番目の子。従軍したのは、ベトナム中部ダナンの山間部で1年ほど従軍。今でも重度汚染地域。
娘さん、35歳。今は普通の生活。
将来のことを訊くと、母親は泣き出した。息子さんが生きてくれて嬉しい。
村長さんが言うには、村の人たちは母親が大変なのを分かっているので、みんなで助けあっている。村は112世帯。村民数は412人。枯葉剤の被害者は、2−3軒ほかにもある。認定家族は、ここだけ。
収入源は現在お米だけ。700平米の農地だけ。二毛作。年に600キロ収穫。余った中から年間 1万5千円 程度の現金になる。野菜、鶏を飼って生活の糧に。娘さんからの援助は難しい。
座っているのが、76年生まれの障害を持った息子さん。枯葉剤の影響を認めてもらい、月 100万ドンの援助が政府からある。
息子さんの医療費は、無料。言葉はわからない。喋れない。体も洗うこともできない。食事は自分でできる。行政の調査で枯葉剤の影響と判明した。自傷行為がある。他人を攻撃することはない。
二軒目の家庭
母親はウェン・ティ・ロクさん。現在 60歳。三人の子供あり。障害児は一番下息子さん。ダウン症あり? 娘二人は正常。
1954年生まれの父。脳梗塞のため39歳で亡くなった。1972−81年まで軍隊で働く。中部の高原地帯で従軍。その際に枯葉剤の被害を受けた模様。中部は激戦地で枯葉剤の散布も激しかった。
86年息子を産んだ。その息子は現在29歳。生まれて間もなくから障害が出現。精神疾患のため障害。障害が一軒目の家の子供より重い。
先月娘さんのお金でテレビとエアコンを購入。クーラーは電気代が高いので、あまり使わない。息子さんの症状は、変化なし。排便も、後始末は母親がしている。食事も自分では、できない。母親が給餌している。
娘さんは、結婚されている。孫は健康。障害なし。
息子と二人で生活。収穫は、お米だけ。コメは食べてしまう。田の面積は前の家の倍ある。農作業は近所の人に助けてもらう。機械化は去年から稲刈り機械化済み。機械を借りて農作業。だが道幅の問題などで手作業になりがち。
娘さんがハノイで働き仕送り。テレビ、冷蔵庫を送ってくれた。
政府からの援助は月130万ドン。
三軒目の家庭
障害者は、ティン・ティ・ロアンさん。1976年生まれ、女性。頭痛がひどい。40歳の兄の息子と同居。兄には二人(21歳、15歳)の息子。21歳の息子は家を出ている。
父と母は、すでに死去。いつ死んだかもわからない。生きていれば68歳ほど。村長さんが父と一緒に従軍。
兄も精神障害あり。頭痛がひどい。話がはっきりしない。兄は体調が次第に悪くなっている。
兄の嫁と15歳の息子が働ける。あとは働けない。
兄は家事はできるが、仕事はできない。
経済的には田んぼからの収入だけ。一トン取れる。
支援金としては、政府から本人分として131万ドン。兄79万ドンの支援金。